素人と落語と書評

落語や社会のはなしなど、つらつらと

新宿末広亭6月中席のはなし

先日、仕事を午前中でふけて言って参りました。

ちょうど代演の桂文治師の時でしたか。相変わらず力強い落語でゲラゲラ笑う。

中席は空いてましたね。夜は2,3割の客の入りというところでしょうか。

チケットの取れない噺家さんと、そうでない噺家さんとの差というのは、失礼かも知れませんが歴然に出ますね。

柳亭市馬師がこちらのインタビューでも語っておりますが、たくさんの真打ちがいるこの時代です。

「真打ちという称号」が「落語」を語るのではなく、「落語」が「真打ちという称号」を語ってくれるのかもしれません。ヨカタが何を偉そうにと言われるかもしれませんが。

http://www.sankei.com/smp/life/news/170615/lif1706150033-s1.html

 

芸の希求には終わりがないのだと思います。そのある種苦闘にも似た姿を、一観客としてこれからも見続けて行きたいですね。

 

週明けは末広亭6月下席に行きます。喬太郎師、小三治師を含め、凄まじいオールスターキャストなので朝からかなり並んでいるようです。

頑張って並びたいと思います。

仮想通貨とフィンテック: 世界を変える技術としくみ 【これから私たちのお金が変わる、、、かもしれない】

 

 キンドルオーナーズライブラリーを利用していて、一番困るのが、読みたい本が見当たらないこと。
毎月毎月、結構吟味して、しょうもないクズ本を引き当てるときの絶望感たるや。

なので、最近、キンドルオーナーズライブラリーは読み捨てるものとして直感で選ぶことにしている。
はっきりいって、キンドルオーナーズライブラリーでの吟味は時間の無駄です(私見です)。

で、今回直感で選んだのは「仮想通貨とフィンテック: 世界を変える技術としくみ」。

キンドルオーナーズライブラリーは謎の苫米地さん押しをしているので、だいたいランキングのどこかでお目にかかれます。
苫米地さんはどうも謎多き人物で、私の中ではショーン・Kばりに素性の知れぬ人物として記憶されています。

まぁ彼のそんなパーソナリティはともかく、この本は結構面白いです。

アマゾンのレビューにも書いてあるとおり、最終章が面白いです。
仮想通貨の優位性(国際的な送金などの手数料、利便性など)が認知されてくると、これは一気に広まりそうだな、と。

以下は引っかかった部分のメモ。
・アップルペイの脅威。このプラットフォームにアップルマネーというアップルの仮想通貨が仮に出現すると、アップルの驚異的なシェアが現出する。

三菱東京UFJマネーは、1ポイント=1円。つまりビットコインなどと違って金額が固定化されている。つまりこれは、日銀ではない、一民間企業が、貨幣を作り出すということ。これは大変なことだ。円の法貨としての位置が揺らいでくる。

・苫米地氏は日銀は仮想通貨に乗り出すべし、という。

この部分だけでも結構面白い。
そのほかの部分も基礎知識としてすらすら読める。
変なフィルターをかけずにトライしてみたい一冊でした。

【本の評価】300円なら買ってもいい。

【アンドロイドは電気羊の夢を見るか?】⇐多分、見たであろう。

 

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

 

 

映画「ブレードランナー」の原作であり、古典的SFとしても有名な本作。

本作に関する考察は、先人が数多行ってきたであろうから、ここではあまり掘り下げず、淡々と気づきを記す。

 

本作の文章としての良さは、素っ気無い文体とリズミカルな物語展開にある。過剰なSF描写、過剰な心理描写等々、ややもすると銀座のママの頭みたいにモリモリになって「ページが進まん!」みたいなことは全くない。

描写も分かりやすく、というか表現に抑制が効きすぎて、むしろアンドロイドが書いたんじゃないかと思うくらいだ。

 

物語の途上で、主人公リック・デッカードは、「人間とは何か?」という哲学を始めてしまい、それそのものが読者に投げかけられる主題でもある。かなりストレートに投げかけられる。

最終的にリックは、その世界の主要な宗教の宗主であるマーサーと同一化を果たすのだが、同一化は二元論で切り分けられる境界に対するシニカルな隠喩であろうか。

 

ともあれ、深いテーマを淡々と読者に染み込ませる展開、作風は面白い。

映画では、演出意図なのか、アンドロイドを幾分好戦的に描いていたが、本作では淡々と狩りが進んでいく。

主人公の目的は狩りだが、作者の目的は狩るものと狩られるものの差異の曖昧さにあるので、戦闘シーンが控えめであればあるほど、その目論見は成功している。

 

もちろんガチのSF好きには物足りない部分とか、設定が曖昧だったり矛盾している部分もあるのだろうが、こうしたメッセージの伝え方はありだと思う。

 

さて、表題の通り、アンドロイドは電気羊の夢を見たのか?

私の答えはイエスだ。根拠はない。

そもそもこの問いこそ、(人間以外は夢を見ないという前提に立っている時点で)作品の主訴と矛盾してるのである。これは人間の尺度で語られる問いだ。

正確には「見るかどうかは分からないけど、その問いに意味があるのか?」

 が表題の問いに対する答えのように思う。

 

 

 

ブレードランナーファイナルカット

 

 言わずと知れた映画。いま続編が公開されようとしている。

私は原作にあたる「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」をいま読んでいて、いたく面白いので、映画も見てみた。

そもそもこの一連の作品を手に取ったのは、ここ最近耽っている現代思想の影響が強い。

アンドロイドと人間を隔てるものとは何か。それは現実世界を生きる人間とその他の生物の対比でもある。

なぜ我々は他の生物を駆逐し、自然を破壊し、生命を謳歌していいのか。

我々はこうした問いに対して、明快な答えを出せていないように思う。

 

映画「ブレードランナー」はこうした迷いを助長する映画として作られている。

一応、アンドロイド対人間という構図はあるが、見ているもの全てが、それを善悪という二項に当てはめて見ることができないだろう。故に主人公も応援できないし、レプリカントも応援できない。モヤモヤする。

 

でもそうだ。我々が持っている境界は極めて曖昧なのだ。それを社会構造の中で、多数者の論理を会得し振りかざしているに過ぎない。そうした気づきを与えてくれる。

 

いやはや、日本をフューチャーしたスチームパンク的な世界観から、この作品はカルト映画扱いされることもあるが、深いテーマの作品でした。

分かってる人はだいたい分かってない

「それね、今かなりジワジワ来てんだよね。やっぱ分かってんなー。」

こんなステロタイプな会話があるのかは分からないが、こういう訳のわからない共感覚の強要は鼻につく。

 

分かってる同士、みたいなコミュニケーションは「分かってる世界の境界」を拡げるかもしれない。

ただ、それが進むと、「分かってる世界」の地表はどんどん隆起して、やがて上から目線に繋がってくる。それはエベレストの頂から地球の丸みを見るようなものだ。

そうなると、マスとの接点が途切れ、現実世界でいずれ不和を起こす。

 

彼らの論理は、「大衆は分かってない」なので(あの感情は、過去のダサかった頃の自分に対するトラウマなんじゃないだろうか)、別に自分たちこそ素晴らしい、それでいいんだろう。うんうん、分かるよ。

でも、もし自分の「分かっているもの、信じるもの」が素晴らしいものである(と少なからず信じる)ならば、それを伝える努力が必要なんじゃないだろうか。

だって、良い物なんでしょ? 拡げればいいじゃん。

なんでそこに境界線を引くんですかね?

あっ、実はそれ自己満足なんじゃない?

という意地悪な言葉が続きそうになる。

 

分かってる人は凡百。

分かっている上で、分かっていない人との間に橋を架ける努力の必要に気づいている人だけが尊いのだろう。

お洒落とは何か


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お洒落とか、イケてるとか。何なのだろう。

彼がお洒落、と表現されるとき、何がお洒落なのか?

彼の表面的な装飾品がお洒落なのか。

彼の本質がお洒落なのか。

それとも両者が相まってお洒落なのか。

我々は何をもってお洒落とかイケてるとか評価を下すのか。

 

こうした対象物を持ち上げる表現を用いるとき、往々にしてその根拠が突き詰めて論じられることはない。極めて感覚的なものだ。

 

どうにも会話の中でそうした表現を多用する人と話をすると、内容がなんとなく空疎で、フワフワした話をしてるように感じられ、途端に興味を失ってしまう。

 

お洒落、イケてるの類の言葉には、承認欲求と自己顕示の臭いを感じる。

臭いのだ。

それらは、自分で切り開いた地平の先に見つけた感覚、表現ではなく、メディアや他人の価値観で擦り切れた、据えた臭いのする表現だ。

とても近寄れない。

 

派手ではない。だけど沁み入るような言葉でもって、会話の中に「火花のような何かが弾ける」

そんな風なコミュニケーションを突き詰めたい。

 

話は変わるけど、冒頭の写真、超いい感じっしょ?

 

「ミクロ経済学入門の入門」 【ミクロ経済学はいかに我々の生活に結びついているか】

 

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

ミクロ経済学入門の入門 (岩波新書)

 

経済学に興味はあれど、マクロ・ミクロ、ことあるごとに挫折してきた私。
やはり、あの計算式と曲線がどうにも理解できない。

この書籍は、かなり簡潔に書かれていそうだったので購入してみた。
内容はわかりやすい。非常にわかりやすい。

この本の趣旨は、私のような経済学落伍者の救済にある。
落ちこぼれにも、クロ経済学に興味を持ってもらうための、まさに入門の入門書だ。

ただし入門の入門である以上、これを読んでもクロ経済総体は分からない。
せいぜい様々な用語の意味が分かってくる程度だ。

クロ経済とはなんぞやを本当に知りたければ、この本で学んだ基礎を以って、本当の学問に向きあう必要があるのよね、やっぱり。

入門書としておきながら、難解な書物もたくさんある。
著者はいかに情報を切り捨てるか、執筆にあたって苦心されたことだろう。
でも、そうしたアプローチは、簡潔な文章、少ないページ数と相まって成功しているように思う。

惜しむらくは、構成のいびつさ。
ほとんどが、

「とっつきやすい導入(起)」⇛「それを題材にミクロ経済学の仕組み解説(承・転)」

という構成になっていて、「結」がない印象を受ける。
これが我々の生活にどう結びついているのか、もっと分かると素人として嬉しいなぁと思った。が、これは上記のように削ぎに削ぎ落としている以上高望みなのかもしれない。

しかし、「最適解」「ベルトラン均衡」「ナッシュ均衡」「消費者余剰」「生産者余剰」「死荷重」等々、面白い知識も多かった。

これらの言葉は、思考をしていく上での概念的なものとして、役立ちそうなイメージ。
例えば、「職場において死荷重が発生しないようにする労働力の適切な分配とは」みたいな。

いやいや、適切な分配でいいじゃん。

 

【一読したあとはリリース】