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素人と落語と書評

落語や社会のはなしなど、つらつらと

意識高い系は悪くない、けどなんか足りない

雑記。

あぁそういうことだ。

意識高い系は悪くない。でも往々にして説明が足りない。

意識の高い君の感じている課題は、目の前にいる別の彼と同じ形をしているだろうか。

彼には案外無色透明に見えていないか。

にも関わらず、意識高い君は口角泡を飛ばしながら、課題教のドグマを論じている。

彼の口はポカンとしてそうだが。

 

もっと互いの表情を、言葉を、さまざまな要素を引き出しあいながら、我々は課題を可視化させて行く必要があるのだ。本来は。

 

なんか詩人みたいになってしまったが、まとめるとこういうことだー。

ただのコミュニケーションの在り方だった。

意識高い系と意識低いのに気づいてない系統

雑談。

 

私はそこそこ、セミナーやら講演やら行くタイプである。

 

そこでは割りと意識の高い人たちが何かを目指して集い、何やら高尚な話をしている。

 

でも、いいこと話してるんだけど、大衆には伝わんないだろうなぁ、と感じることがままある。

知識レベルを同一にしなければ、絶対に共感できない話題を皆、嬉々として聞いている。

 

私はいつもその先を考える。「これをどう翻訳しよう、どう噛み砕いて皆に伝えるべきか」と。

世間一般では(敢えて便宜的に言いますが)意識高くない人の方が圧倒的に多いので、私は全然嬉々と出来なくて、翻訳を想像するとむしろ眉毛が8時20分の形になってしまう。

そういう意識を持ってない人のほうが絶対多数である以上、やはり実効的に考えれば大衆の目線は無くしてはいけないと思う。

 

だからセミナーで感化された感が丸出しの、SNSにおける意識高い言語で記述されたオシャンティな思考の一端をポストされると、勝手に心配してしまう。

「皆、引いてない?」って。

で、オシャポストに、オシャンティなイイねがループして、螺旋を描いて、さぁ行くんだ、新しい僕らのブランニューワールド、みなんてビーイングの歌詞みたいな世界が展開されると更に困惑してしまう。

 

私、根本的に人間が腐ってる。

 

 

ウンコな議論

 

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

 

「On Bullshit」がどうしてこんなタイトルになったのかは理解が及びませんが、この本を今読み進めています。

 

読み進めたきっかけは、フランクファー卜が格差について語った言葉との出会いです。フランクファー卜曰く、「格差が問題なのではなく、十分行き渡っていないのが問題である。」

フランクファー卜は、昨今幅を利かす格差論に、この言葉を以って対抗しました。私もその通りだと思っています。

 

先日、山手線でセレブ感のあるご婦人たちが美味しい(のかよくわからないけど)ワインについて大きな声で語っていた。私達は金持ちです、という意思表示が言外にもありありと伝わってきた。

その横で、こう言っちゃなんだが、いかにも金は持ってなさそうな、野球帽を被って発泡酒を飲んでるおっちゃん二人組が、「今日の麻雀は楽しかったねー」みたいなことを話している。

両者の経済的格差は歴然だが、幸せの総量は変わらないように見えた。

両者には行き渡っている。

行き渡っていることは、金銭の格差を超越していく。 

 

これはコミュニティの関係性に於いても往々にしてそうで、個の、自由の時代だからこそ、コミュニティが崩壊し、行き渡らなくなった人が増えた。そうした結果、幸せを測る単位として、金銭的な格差にフォーカスするようになった。

そうした側面もあるように思う。

もちろん、餓死寸前の人々が多数の途上国もあるから、このことを一概に語ることは難しいけれども、先進国に於いては結構当てはまるんじゃないかと思っている。

 

お酒のせいか、今日は一段とひどい内容で、すみません。

ビル・ゲイツがビッグヒストリープロジェクトを推進する理由【サピエンス全史を読んで】

  先日、広島大学の長沼毅教授のビッグヒストリーに関する講演を聞く機会があり、非常に意義深い話を聞くことが出来ました。 

ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史

ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史

 

 ビッグヒストリープロジェクトは、統合的な歴史学として認知が進んできていますが、その推進に、慈善活動家であるビル・ゲイツが全面的に関わっています。

ゲイツ新興国などにもネット環境などを整備し、どこの国でも、どんな環境でも、多用な人々が、このビッグヒストリーを学ぶ機会を提供しようとしているそうです。

学問になぜ、ゲイツは巨額の私費を投じるのか?
それは、シンギュラリティ、バイオテクノロジー等々、我々の倫理観や価値観を今後根底から覆すであろう概念に、人類全体の知を結集して立ち向かおうとしているからだそうです。 

この話を聞いて、私は本当にゾクゾクしました。
我々の意思を飛び越えて進む技術領域の躍進と、人類知の対立による総力戦。こんなものを既に想定しているゲイツの洞察もそうですし、新しい歴史の胎動を私はおぼろげに感じ取ったのでした。


で、長沼教授も講演の中でちらっと例に挙げたビッグヒストリー関連本、「サピエンス全史」を手にとってみました。

 

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 

 内容としては、歴史の本、というよりも哲学的な要素を多分に含んでいる印象です。
人類が類まれなる栄華を掴んだのは、その想像力や思考の幅広さであること。そしてその過程で切り捨ててきたもの(人間のせいで絶滅した生物や、過去の残虐な行い)を、巨視的な視点で提示してくれます。

我々の幸せは、ホルモンの働きであると喝破したり、ある意味構造主義的なアプローチも含みつつ、本書では我々人類の本当の姿を紐解いていきます。


そして、下巻の最後、こここそが本書の本丸で、「超ホモサピエンス」について触れています。
今後、技術革新が進むなか、クローン等の生命倫理、AIとの共存など、新しい価値観がどんどん突きつけられていきます。それらが進みきった先の我々の姿は本当に「ホモサピエンス」と言えるのか?
技術がすさまじいスピードで進化していくなかで、我々の価値観・概念の醸成はあまりにも拙速です。何をしたいのか、何に向かって進んでいるのかもわからない人類に、一方的にAIとの共生や果ては電脳などの問題が持ち込まれてくるわけです。
正直恐ろしい話です。
著者は最後に、そうした問題に対して警鐘を鳴らします。
少しだけ引用したいと思います。

唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。(中略) 私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。


私たちは、絶大な力を持った、最早、神と呼べる存在に近づきつつあります。一方で、その目的も進む方向もよく理解せず、他の動物を駆逐し、環境を破壊し、人間至上主義をひた進んでいま
す。
作者いわく「自分が何を望んでいるか分からない、不満で無責任な神々ほど危険なものはないではないか」と。

サピエンス全史というタイトルは、
(
とりあえず今日まで分かっている)サピエンス全史ではなく、サピエンスの終焉を意味しています。

我々はサピエンスを通り越し「何か別の生き物」になる転換点に、今差し掛かろうとしているのかもしれません。

 

 


っていう内容は割りと

 

いま世界の哲学者が考えていること

いま世界の哲学者が考えていること

 

 この本とだだかぶりでした。

両方とも面白いですよ。

長くなりました。以上です。







Amazonベーシックの写真が間違いだらけな件

【追記:この記事を書いた後、すぐに商品が訂正されました。】

Amazonベーシックっていいですよね。
私アマゾン大好きで、プライム会員はもちろん、表題のプライベートブランド商品も愛用しております。

ところが、最近、そんなAmazonベーシックの様子がおかしい。

 

AmazonBasics 115-Piece Home Repair Kit

AmazonBasics 115-Piece Home Repair Kit

 

 リペアキット?

 

AmazonBasics Volume Limited On-Ear Headphones for Kids - Blue/Green

AmazonBasics Volume Limited On-Ear Headphones for Kids - Blue/Green

 

 ヘッドフォンなのにめっちゃリュックやん……。

 

AmazonBasics Quick-Dry 3-Piece Towel Set, Petal Pink

AmazonBasics Quick-Dry 3-Piece Towel Set, Petal Pink

 

 コーヒーメーカーやん……。

という感じにグダグダ感が出てます。こんなのただの一例です。

どうも、日本語対応をまだしていない商品が全体的に間違っているみたいです。
とはいえ、売ってますから、このミスはよろしくないでしょう。
一応、「写真が間違ってますよ」、とアマゾンにメールをしたのですが、なかなか改善される気配もありませんので、注意喚起とします。

真ん中のリュック2500円でめっちゃ欲しいんですが、注文したら家にはやはりヘッドフォンが届くのでしょうか。。。

人柱になってみませんか?


ホワイト企業もブラック企業も存在しない

今週のお題「自己紹介」

私はむかーし、雑誌のライターをやっていた。

とは言っても、プロダクションに所属する雇われライターだ。要はリーマンだ。

働きやすいプロダクション(ホワイトプロダクション)もあったが、電通も真っ青の残業と徹夜で、本当に死のうと思うくらい追い込まれるプロダクション(ブラックプロダクション)もあった。

その時、いつも「ホワイトプロダクションは良かったなぁ。。。」と思い出したものだ。
ホワイトプロダクションは倒産したため、辞めざるを得なかったのだが、それでも働いてる中では、やれ給料が安いだ、待遇が悪いだ、不満を止めどなく放言したものだった。そこが、所謂「ホワイト企業」と気づかず。

結局ブラックだ、ホワイトだ、というのは相対的なものでしかない。
物差しをどこに当てるか、の問題だ。

私が後日認識するに至ったホワイトプロダクションも、本当の意味でホワイトだったかなど分からない。
300万円の年収はホワイトなのか?と。
(ちなみにブラックプロダクションは200万円弱だった。世のライターの多くはかなり給料が安い。劇団員みたいなところがあって、なりたい人など履いて捨てるほどいるからだろう。)

さて、そんな私は、今、公務員をしている。
私の眼鏡を通すと、公務員はホワイト企業だ。ただし、その内に、漆黒という言葉では表現もできないほどの黒い闇が存在していることも感じている。

その黒と対峙するのは結構覚悟が要求される。

やっぱり企業カラーなんて分からない。

不倫に走る話【武蔵野婦人】

 

武蔵野夫人 (新潮文庫)

武蔵野夫人 (新潮文庫)

 

 どうも、今回ばかりは米国と北朝鮮がピリピリしています。
こんなしょうもない手記を書いている場合でもないのですが、何にもできることがないため書いています。

まぁともあれ、森友学園とか浅田真央の引退とか、ニュースの種を作りたいのは分かるのですが、もう少し社会情勢にメディアは時間を割くべきではないかと勝手に憤っています。

そうそう、表題の武蔵野夫人を(いまさら)読みました。
別に不倫が流行っているからとかじゃなく、たまたまいい感じの古本屋で100円だったので買った次第です。

ざっくりいうと、親戚関係にある二組の夫婦+αがスワップ交換(ここでいう交換は合意に基づく交換ではない)、というか不倫をし合う話です。

主人公の道子は秋山という旦那がいますが、秋山は道子の親戚の富子と不倫。
一方で、道子は「恋」という煙幕でごまかしますが、親戚の勉と不倫(未遂)。

ついでに言うと、勉は最終的に富子とも関係を持ちます。

秋山と富子は、不倫を肯定しています。
対比的に、道子は道徳的な面(不倫+背徳)で悩み、もがきます。体の関係こそありませんが、完全に心では勉と不倫をしています。

婚姻という制度を支点に、生殖の本能を、どうコントロールしていくかの対比がここで起こっています。

前者のカップルは、婚姻というシステムは後天的なもので、あくまでシステムの話、つまり運用は個々人次第というスタンスです。だから社会的な制約に拘泥せず、ズブズブと深みに陥ります。

対して、後者は、社会的な制約を疑わず(この表現は読んだ人にはわかると思いますが適切ではありません)、そのルールをあたかも大地と見なしたため、最後まで跳躍できませんでした。

線をやすやすと飛び越えたカップルとそうでないカップル。その姿は、我々の社会にある常識と呼ばれるものの不確かさ、曖昧さを見せつけてくれます。

(ただ、跳躍できたからといって成功かどうかは分かりません。大岡昇平は、跳躍できなかったものの悲惨な末路を、淡々と綴っていきます。実際、秋山ほか数名は跳躍した結果、太陽に翼を焼かれました)。

この小説で大岡昇平は、道徳じみた説教ではなく、人に起きる悲哀を書きたかったのでしょう。そんな気がします。
ところどころに現れる神の視点もそうですが、どうも作品全体が舞台装置のような感じを受けます。全ての出来事は、大げさな儀式のような、そんな滑稽さが作品全体の煩悶の中に潜んでいます(これが当時のスタンダードだったのかもしれませんが)。
そうした意味で、今で言う昼ドラ的なものと考えて差し支えないのではないでしょうか。
財布のステーキとか。

一方で、結果的にこの茶番のような不倫報道がひた続く現代に、この小説は教訓を与えてくれます。


不倫とはいろんな意味で難しいものだと。
不倫をだめとしているのは、システムです。言い換えれば我々の類まれなる想像力による幻想です。想像力を欠く動物には不倫は存在しませんしね。
我々は生理学的に基づく根拠ではなく、思考を根拠として、性的衝動を抑え込んでいるわけです。

「想像力」で、「生殖という本能」を抑え込むという現代社会の構造が、どこまで健全なのかということに関して、私は答えに窮してしまうのです。

ちょうど同時期に構造主義やら、レヴィ・ストロースを読んでいたので、どうしてもこうした答えになります。
やっていいことと悪いことは当然あり、不倫を肯定するわけではありません。

ただ、難しい問題です。

話が戻りますが、ちゃんと明日が来るといいなと切に思います。
いろんな意味で不謹慎な話で恐縮です。