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素人と落語と書評

落語や社会のはなしなど、つらつらと

Amazonベーシックの写真が間違いだらけな件

Amazonベーシックっていいですよね。
私アマゾン大好きで、プライム会員はもちろん、表題のプライベートブランド商品も愛用しております。

ところが、最近、そんなAmazonベーシックの様子がおかしい。

 

AmazonBasics 115-Piece Home Repair Kit

AmazonBasics 115-Piece Home Repair Kit

 

 リペアキット?

 

AmazonBasics Volume Limited On-Ear Headphones for Kids - Blue/Green

AmazonBasics Volume Limited On-Ear Headphones for Kids - Blue/Green

 

 ヘッドフォンなのにめっちゃリュックやん……。

 

AmazonBasics Quick-Dry 3-Piece Towel Set, Petal Pink

AmazonBasics Quick-Dry 3-Piece Towel Set, Petal Pink

 

 コーヒーメーカーやん……。

という感じにグダグダ感が出てます。こんなのただの一例です。

どうも、日本語対応をまだしていない商品が全体的に間違っているみたいです。
とはいえ、売ってますから、このミスはよろしくないでしょう。
一応、「写真が間違ってますよ」、とアマゾンにメールをしたのですが、なかなか改善される気配もありませんので、注意喚起とします。

真ん中のリュック2500円でめっちゃ欲しいんですが、注文したら家にはやはりヘッドフォンが届くのでしょうか。。。

人柱になってみませんか?


ホワイト企業もブラック企業も存在しない

今週のお題「自己紹介」

私はむかーし、雑誌のライターをやっていた。

とは言っても、プロダクションに所属する雇われライターだ。要はリーマンだ。

働きやすいプロダクション(ホワイトプロダクション)もあったが、電通も真っ青の残業と徹夜で、本当に死のうと思うくらい追い込まれるプロダクション(ブラックプロダクション)もあった。

その時、いつも「ホワイトプロダクションは良かったなぁ。。。」と思い出したものだ。
ホワイトプロダクションは倒産したため、辞めざるを得なかったのだが、それでも働いてる中では、やれ給料が安いだ、待遇が悪いだ、不満を止めどなく放言したものだった。そこが、所謂「ホワイト企業」と気づかず。

結局ブラックだ、ホワイトだ、というのは相対的なものでしかない。
物差しをどこに当てるか、の問題だ。

私が後日認識するに至ったホワイトプロダクションも、本当の意味でホワイトだったかなど分からない。
300万円の年収はホワイトなのか?と。
(ちなみにブラックプロダクションは200万円弱だった。世のライターの多くはかなり給料が安い。劇団員みたいなところがあって、なりたい人など履いて捨てるほどいるからだろう。)

さて、そんな私は、今、公務員をしている。
私の眼鏡を通すと、公務員はホワイト企業だ。ただし、その内に、漆黒という言葉では表現もできないほどの黒い闇が存在していることも感じている。

その黒と対峙するのは結構覚悟が要求される。

やっぱり企業カラーなんて分からない。

不倫に走る話【武蔵野婦人】

 

武蔵野夫人 (新潮文庫)

武蔵野夫人 (新潮文庫)

 

 どうも、今回ばかりは米国と北朝鮮がピリピリしています。
こんなしょうもない手記を書いている場合でもないのですが、何にもできることがないため書いています。

まぁともあれ、森友学園とか浅田真央の引退とか、ニュースの種を作りたいのは分かるのですが、もう少し社会情勢にメディアは時間を割くべきではないかと勝手に憤っています。

そうそう、表題の武蔵野夫人を(いまさら)読みました。
別に不倫が流行っているからとかじゃなく、たまたまいい感じの古本屋で100円だったので買った次第です。

ざっくりいうと、親戚関係にある二組の夫婦+αがスワップ交換(ここでいう交換は合意に基づく交換ではない)、というか不倫をし合う話です。

主人公の道子は秋山という旦那がいますが、秋山は道子の親戚の富子と不倫。
一方で、道子は「恋」という煙幕でごまかしますが、親戚の勉と不倫(未遂)。

ついでに言うと、勉は最終的に富子とも関係を持ちます。

秋山と富子は、不倫を肯定しています。
対比的に、道子は道徳的な面(不倫+背徳)で悩み、もがきます。体の関係こそありませんが、完全に心では勉と不倫をしています。

婚姻という制度を支点に、生殖の本能を、どうコントロールしていくかの対比がここで起こっています。

前者のカップルは、婚姻というシステムは後天的なもので、あくまでシステムの話、つまり運用は個々人次第というスタンスです。だから社会的な制約に拘泥せず、ズブズブと深みに陥ります。

対して、後者は、社会的な制約を疑わず(この表現は読んだ人にはわかると思いますが適切ではありません)、そのルールをあたかも大地と見なしたため、最後まで跳躍できませんでした。

線をやすやすと飛び越えたカップルとそうでないカップル。その姿は、我々の社会にある常識と呼ばれるものの不確かさ、曖昧さを見せつけてくれます。

(ただ、跳躍できたからといって成功かどうかは分かりません。大岡昇平は、跳躍できなかったものの悲惨な末路を、淡々と綴っていきます。実際、秋山ほか数名は跳躍した結果、太陽に翼を焼かれました)。

この小説で大岡昇平は、道徳じみた説教ではなく、人に起きる悲哀を書きたかったのでしょう。そんな気がします。
ところどころに現れる神の視点もそうですが、どうも作品全体が舞台装置のような感じを受けます。全ての出来事は、大げさな儀式のような、そんな滑稽さが作品全体の煩悶の中に潜んでいます(これが当時のスタンダードだったのかもしれませんが)。
そうした意味で、今で言う昼ドラ的なものと考えて差し支えないのではないでしょうか。
財布のステーキとか。

一方で、結果的にこの茶番のような不倫報道がひた続く現代に、この小説は教訓を与えてくれます。


不倫とはいろんな意味で難しいものだと。
不倫をだめとしているのは、システムです。言い換えれば我々の類まれなる想像力による幻想です。想像力を欠く動物には不倫は存在しませんしね。
我々は生理学的に基づく根拠ではなく、思考を根拠として、性的衝動を抑え込んでいるわけです。

「想像力」で、「生殖という本能」を抑え込むという現代社会の構造が、どこまで健全なのかということに関して、私は答えに窮してしまうのです。

ちょうど同時期に構造主義やら、レヴィ・ストロースを読んでいたので、どうしてもこうした答えになります。
やっていいことと悪いことは当然あり、不倫を肯定するわけではありません。

ただ、難しい問題です。

話が戻りますが、ちゃんと明日が来るといいなと切に思います。
いろんな意味で不謹慎な話で恐縮です。

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム【まとめ】

 

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

 

 

エアランゲン市の魅力とは。メモです。

 

・街を鳥瞰する視点

⇛鳥瞰視点からの地図によるまちの全体像を、政策の中でうまく市民に見せている。
⇛統計等に力を注ぐことで、まちに関する客観的な情報を積極的に提供。

ダイバーシティの促進

⇛まちの25%が外国人、その差異がまちに動きを生む。
⇛たくさんの言語で書かれたエコバッグを役所の手続きの際に配布。言葉の違いを当たり前のものとして示すとともに、帰属意識を高める。(デザイン感覚の普遍性)


・産官学による連携によるイベント

オープンキャンパスならぬ、オープンドアイベントで、会社や設備を開放。住人の知的好奇心をくすぐる。

・メインストリート
⇛みんなが集うメインストリートがある。ここは、買い物をする空間であり、公園であり交流の生まれる場所である。こうした機能を持つ空間は日本の都市に少ない。

・自転車移動の促進
市民農園の充実
⇛土地の特性も含む。

・ローカルメディアの充実
パブリック・リレーションズが日本よりも洗練されている印象。一方的な日本に比べ、エアランゲンでは双方向に向う言論の公共空間が整備されている。日本との違いは大きい。

・企業の社会貢献
CSRが日本よりもかなり進んでいる。税制の優遇という面もあるが、良い街を作ることが、結果的に人材や良い環境を生み、それが企業にも還元されてくることをしっている。もう少し突っ込んでいえば、良い環境(まち)を作ることで、労働者の生産効率も上昇する。
こうした循環系のモデルをまちと企業が包んでいる。

シビックプライド
⇛お国柄、地域性も加味されねばならないが、まちに対する帰属意識は強い。郷土保護のNPOなども古くからある。相互扶助のメンタリティ。

エアランゲン歴史写真館フェイスブック
まちの歴史に気軽にアクセスできる権利の確保。
市外からもアクセスが集中。

補完性の原理の浸透(考え方のヒント)

⇛各レベルでの、自治と自己管理能力があって成り立つ。自己管理は権利であると同時に義務である。両者の緊張関係があってこそ成り立つ。
ところが日本では、権利ばかりが先に立ってしまっている。
義務をうまく伝えられていない。(最悪の場合、与えてすらいない)。

総じて、地域性という部分も大きい。シーメンスの本社があったり。
ただし、すべての主体が、街に対する依拠心を持っていることが、連環を生む鍵となっている。これこそがつながりというものだ。
このクオリティループがまちに好影響を呼んでいるのは事実である。
それそれが独立している日本の(一般的な)まちとえらい違いだ。

3月29日、立川談笑一門会


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半年ぶりくらいに、立川談笑一門会に行ってきました(久々に落語の話ですね)。

初めて生の落語を聴いたのもこの会だったので、思い入れがあります。

 

この頃仕事やなんや忙しく、気持ちも荒んでいたのですが、たくさん笑って、出ました。

オキシトシン(快楽ホルモン)。

 

立川談笑さんの「シャブ浜」が聴けて良かった。私は落語の素人ですが、談笑さんの人物描写は本当に息を飲むものがあると思う。

 

お弟子さんの吉笑さんが、言っていたように、噺家が「そこにある」と口に出したものは、話し手と聞き手で紛れもなく、イメージとして共有される。

その共有感を呼び起こす力が凄まじいのが談笑さんの落語(と、私は勝手に思ってる)。

 

これからも大事にしたい落語会。

プレミアムフライデーなんて有り得ない期末の金曜日。

 

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか?【感想】

 

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

 

 なかなか面白い本で、ドイツのエアランゲン市というまちが、いかに素晴らしいかを紹介する本です。

同社の「ポートランドー世界で1番住みたい街をつくる」と、まぁ似てるような気がします。というか、街の性質そのものに近いところがあるような気がします。

 

要は、住んでる人が、その街を好きなんですね、エアランゲンにしてもポートランドにしても(ほんとはもっといろいろ要素がありますが)。

ちなみに、私はポートランドには行き、現地を見てきて、その空気感をなんとなく味わってきました。

 

一方で、日本人は、住んでるとことかに本当に興味がないような印象を受けます。

生まれ育った街には愛着を持ってるのかもしれませんが、基本、「想い」の範疇を出ませんね。愛着を持つだけで、特には何もしない、まさに観念で終わってしまうのが日本人スタンダード。

(想いが歪な形に顕在化したふるさと納税というシステムは、逆に日本人の物質主義、というか節操のなさを良く表していると思います。)

日本人のこの辺の現金さみたいなものは、一体どこで道を誤ったのだろうと考えたくもなりますが、嘆いても仕方ない。

前を向いた話をすると、まちに住んで良かった、というお得感を適切に還元していく必要があると考えます。お得感は、もちろんモノやお金ではなく、心の満足感。

 

んでもって、満足感がどう得られるかは、実際にみんなに対して問を立ててみないと分かんないわけですね。

ポートランドマンセー、エアランゲンマンセー。じゃ真似しよう! では、いいとこは行くかもしれませんが何処かで瓦解する気がします。

 

というわけで、本著の内容は、まちづくりの参考とさせていただきます、という解釈に留めておきたいと思います。

 

ここまで読んだ方には恐縮ですが、私の話には根拠が全くありません。

資本主義の終焉と歴史の危機

 

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

 

 ちょっと前に読みました。

私は以前金融商品に親しい世界にいたが、なんとなく金融工学によって作られる金融商品に常々胡散臭さを感じていた。

本の内容はその胡散臭さを喝破するものなので、アベノミクスだのトランポノミクスだの、なんだかその手の類に疑問を感じる方は読んでいいと思う。

 

私が金融工学に胡散臭さを感じていたのは、金融工学から派生する金融商品に実物がないからだ。

連動債だのインデックスだの、素人目に見て「ちょっと無理やりじゃね」という商品が当たり前のように取り引きされ、お金を生み出していた。

 

本の趣旨も概ねそんな具合である。

「これまで平面空間に拡大してきた資本主義が、行き詰まりをみせたため、金融工学を以って立体(3次元)に進出した。(つまり立体とはざっくりいうとデリバティブなどのことである。)

で、その3次元も行き詰まりを見せつつあるので、世界はこれからどう向かっていくのか?」という内容である。

 

4次元なんてありえない。なんて言い切れないのがこの世界の恐ろしいとこだが、この感じで行くと、なかなかどうして4次元方向への進出は難しそうである。

すると、3次元を無理やり拡張するのか、維持するのか、縮小するのか。そこには世界の政治の力を含めて舵取りをする必要がある。

その方向性を決める場には、世界の富豪、およそ数%の人間しか関わっていないのは歴然たる事実。

残り人類は舵取りの結果と、それに付随して起こる事象を眼前に突きつけられるのみである。

恐ろしや。

 

落語の話はまた今度。

今週は立川談笑一門会。半年ぶりに行きます!

それでは。