シコウノイッタン

読んだ本や、映画の話など、偏見だらけの話をつらつらと

SHINCHO高座「矢来町土曜早朝寄席」出演:立川笑二

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志ん朝も住んでいた矢来町。
東京に10年以上住んでいるのに、神楽坂には行ったことがない私。

早朝寄席があるというので、勇気を出して行ってみた。

神楽坂は素敵なまちだった。
時間と人と、景観がいろいろ調和して、とても良い空気を持つまち。
そして、落語とまちの蜜月を感じるまち。

なんて素敵なまちだ!

さて本題。

矢来町土曜早朝寄席は、新潮講座神楽坂教室の上で行われる寄席という名の二つ目さんの独演会。この日は立川笑二さん。
朝10時から、たっぷり三席。わずか1000円で聞けるというのは嬉しい限り。

演目は
・転失気
天狗裁き
・景清

笑二さんの高座は安定感がある。
ブラックな笑いは師匠ゆずり。現代的な要素も交えながらしっかり古典。
いつも聞いていてしっくり来る(個人的な好み)。

景清は、先日、立川談笑一門会でも披露していた。
そのとき、なんか物凄い鳥肌が立つシーンがあったのだけど、どこだっけ。
とか思い出しながら聞いていた。

コボちゃんと落語と美味しいご飯の町、神楽坂。
早朝寄席にもまた必ず行こう。

久しぶりに落語の話。



【「ウンコな議論」を読んで】

 

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

ウンコな議論 (ちくま学芸文庫)

 

「On Bullshit」がどうしてこんなタイトルになったのかは理解が及びませんが、この本を今読み進めています。

 

読み進めたきっかけは、フランクファー卜が格差について語った言葉との出会いです。フランクファー卜曰く、「格差が問題なのではなく、十分行き渡っていないのが問題である。」

フランクファー卜は、昨今幅を利かす格差論に、この言葉を以って対抗しました。私もその通りだと思っています。

 

先日、山手線でセレブ感のあるご婦人たちが美味しい(のかよくわからないけど)ワインについて大きな声で語っていた。私達は金持ちです、という意思表示が言外にもありありと伝わってきた。

その横で、こう言っちゃなんだが、いかにも金は持ってなさそうな、野球帽を被って発泡酒を飲んでるおっちゃん二人組が、「今日の麻雀は楽しかったねー」みたいなことを話している。

両者の経済的格差は歴然だが、幸せの総量は変わらないように見えた。

両者には行き渡っている。

行き渡っていることは、金銭の格差を超越していく。 

 

これはコミュニティの関係性に於いても往々にしてそうで、個の、自由の時代だからこそ、コミュニティが崩壊し、行き渡らなくなった人が増えた。そうした結果、幸せを測る単位として、金銭的な格差にフォーカスするようになった。

そうした側面もあるように思う。

もちろん、餓死寸前の人々が多数の途上国もあるから、このことを一概に語ることは難しいけれども、先進国に於いては結構当てはまるんじゃないかと思っている。

 

お酒のせいか、今日は一段とひどい内容で、すみません。

ビル・ゲイツがビッグヒストリープロジェクトを推進する理由【サピエンス全史を読んで】

  先日、広島大学の長沼毅教授のビッグヒストリーに関する講演を聞く機会があり、非常に意義深い話を聞くことが出来ました。 

ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史

ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史

 

 ビッグヒストリープロジェクトは、統合的な歴史学として認知が進んできていますが、その推進に、慈善活動家であるビル・ゲイツが全面的に関わっています。

ゲイツ新興国などにもネット環境などを整備し、どこの国でも、どんな環境でも、多用な人々が、このビッグヒストリーを学ぶ機会を提供しようとしているそうです。

学問になぜ、ゲイツは巨額の私費を投じるのか?
それは、シンギュラリティ、バイオテクノロジー等々、我々の倫理観や価値観を今後根底から覆すであろう概念に、人類全体の知を結集して立ち向かおうとしているからだそうです。 

この話を聞いて、私は本当にゾクゾクしました。
我々の意思を飛び越えて進む技術領域の躍進と、人類知の対立による総力戦。こんなものを既に想定しているゲイツの洞察もそうですし、新しい歴史の胎動を私はおぼろげに感じ取ったのでした。


で、長沼教授も講演の中でちらっと例に挙げたビッグヒストリー関連本、「サピエンス全史」を手にとってみました。

 

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

 

 内容としては、歴史の本、というよりも哲学的な要素を多分に含んでいる印象です。
人類が類まれなる栄華を掴んだのは、その想像力や思考の幅広さであること。そしてその過程で切り捨ててきたもの(人間のせいで絶滅した生物や、過去の残虐な行い)を、巨視的な視点で提示してくれます。

我々の幸せは、ホルモンの働きであると喝破したり、ある意味構造主義的なアプローチも含みつつ、本書では我々人類の本当の姿を紐解いていきます。


そして、下巻の最後、こここそが本書の本丸で、「超ホモサピエンス」について触れています。
今後、技術革新が進むなか、クローン等の生命倫理、AIとの共存など、新しい価値観がどんどん突きつけられていきます。それらが進みきった先の我々の姿は本当に「ホモサピエンス」と言えるのか?
技術がすさまじいスピードで進化していくなかで、我々の価値観・概念の醸成はあまりにも拙速です。何をしたいのか、何に向かって進んでいるのかもわからない人類に、一方的にAIとの共生や果ては電脳などの問題が持ち込まれてくるわけです。
正直恐ろしい話です。
著者は最後に、そうした問題に対して警鐘を鳴らします。
少しだけ引用したいと思います。

唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。(中略) 私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。


私たちは、絶大な力を持った、最早、神と呼べる存在に近づきつつあります。一方で、その目的も進む方向もよく理解せず、他の動物を駆逐し、環境を破壊し、人間至上主義をひた進んでいま
す。
作者いわく「自分が何を望んでいるか分からない、不満で無責任な神々ほど危険なものはないではないか」と。

サピエンス全史というタイトルは、
(
とりあえず今日まで分かっている)サピエンス全史ではなく、サピエンスの終焉を意味しています。

我々はサピエンスを通り越し「何か別の生き物」になる転換点に、今差し掛かろうとしているのかもしれません。

 

 


っていう内容は割りと

 

いま世界の哲学者が考えていること

いま世界の哲学者が考えていること

 

 この本とだだかぶりでした。

両方とも面白いですよ。

長くなりました。以上です。







ホワイト企業もブラック企業も存在しない

今週のお題「自己紹介」

私はむかーし、雑誌のライターをやっていた。

とは言っても、プロダクションに所属する雇われライターだ。要はリーマンだ。

働きやすいプロダクション(ホワイトプロダクション)もあったが、電通も真っ青の残業と徹夜で、本当に死のうと思うくらい追い込まれるプロダクション(ブラックプロダクション)もあった。

その時、いつも「ホワイトプロダクションは良かったなぁ。。。」と思い出したものだ。
ホワイトプロダクションは倒産したため、辞めざるを得なかったのだが、それでも働いてる中では、やれ給料が安いだ、待遇が悪いだ、不満を止めどなく放言したものだった。そこが、所謂「ホワイト企業」と気づかず。

結局ブラックだ、ホワイトだ、というのは相対的なものでしかない。
物差しをどこに当てるか、の問題だ。

私が後日認識するに至ったホワイトプロダクションも、本当の意味でホワイトだったかなど分からない。
300万円の年収はホワイトなのか?と。
(ちなみにブラックプロダクションは200万円弱だった。世のライターの多くはかなり給料が安い。劇団員みたいなところがあって、なりたい人など履いて捨てるほどいるからだろう。)

さて、そんな私は、今、公務員をしている。
私の眼鏡を通すと、公務員はホワイト企業だ。ただし、その内に、漆黒という言葉では表現もできないほどの黒い闇が存在していることも感じている。

その黒と対峙するのは結構覚悟が要求される。

やっぱり企業カラーなんて分からない。

不倫に走る話【「武蔵野婦人」を読んで】

 

武蔵野夫人 (新潮文庫)

武蔵野夫人 (新潮文庫)

 

 どうも、今回ばかりは米国と北朝鮮がピリピリしています。
こんなしょうもない手記を書いている場合でもないのですが、何にもできることがないため書いています。

まぁともあれ、森友学園とか浅田真央の引退とか、ニュースの種を作りたいのは分かるのですが、もう少し社会情勢にメディアは時間を割くべきではないかと勝手に憤っています。

そうそう、表題の武蔵野夫人を(いまさら)読みました。
別に不倫が流行っているからとかじゃなく、たまたまいい感じの古本屋で100円だったので買った次第です。

ざっくりいうと、親戚関係にある二組の夫婦+αがスワップ交換(ここでいう交換は合意に基づく交換ではない)、というか不倫をし合う話です。

主人公の道子は秋山という旦那がいますが、秋山は道子の親戚の富子と不倫。
一方で、道子は「恋」という煙幕でごまかしますが、親戚の勉と不倫(未遂)。

ついでに言うと、勉は最終的に富子とも関係を持ちます。

秋山と富子は、不倫を肯定しています。
対比的に、道子は道徳的な面(不倫+背徳)で悩み、もがきます。体の関係こそありませんが、完全に心では勉と不倫をしています。

婚姻という制度を支点に、生殖の本能を、どうコントロールしていくかの対比がここで起こっています。

前者のカップルは、婚姻というシステムは後天的なもので、あくまでシステムの話、つまり運用は個々人次第というスタンスです。だから社会的な制約に拘泥せず、ズブズブと深みに陥ります。

対して、後者は、社会的な制約を疑わず(この表現は読んだ人にはわかると思いますが適切ではありません)、そのルールをあたかも大地と見なしたため、最後まで跳躍できませんでした。

線をやすやすと飛び越えたカップルとそうでないカップル。その姿は、我々の社会にある常識と呼ばれるものの不確かさ、曖昧さを見せつけてくれます。

(ただ、跳躍できたからといって成功かどうかは分かりません。大岡昇平は、跳躍できなかったものの悲惨な末路を、淡々と綴っていきます。実際、秋山ほか数名は跳躍した結果、太陽に翼を焼かれました)。

この小説で大岡昇平は、道徳じみた説教ではなく、人に起きる悲哀を書きたかったのでしょう。そんな気がします。
ところどころに現れる神の視点もそうですが、どうも作品全体が舞台装置のような感じを受けます。全ての出来事は、大げさな儀式のような、そんな滑稽さが作品全体の煩悶の中に潜んでいます(これが当時のスタンダードだったのかもしれませんが)。
そうした意味で、今で言う昼ドラ的なものと考えて差し支えないのではないでしょうか。
財布のステーキとか。

一方で、結果的にこの茶番のような不倫報道がひた続く現代に、この小説は教訓を与えてくれます。


不倫とはいろんな意味で難しいものだと。
不倫をだめとしているのは、システムです。言い換えれば我々の類まれなる想像力による幻想です。想像力を欠く動物には不倫は存在しませんしね。
我々は生理学的に基づく根拠ではなく、思考を根拠として、性的衝動を抑え込んでいるわけです。

「想像力」で、「生殖という本能」を抑え込むという現代社会の構造が、どこまで健全なのかということに関して、私は答えに窮してしまうのです。

ちょうど同時期に構造主義やら、レヴィ・ストロースを読んでいたので、どうしてもこうした答えになります。
やっていいことと悪いことは当然あり、不倫を肯定するわけではありません。

ただ、難しい問題です。

話が戻りますが、ちゃんと明日が来るといいなと切に思います。
いろんな意味で不謹慎な話で恐縮です。

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム【まとめ】

 

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

 

 

エアランゲン市の魅力とは。メモです。

 

・街を鳥瞰する視点

⇛鳥瞰視点からの地図によるまちの全体像を、政策の中でうまく市民に見せている。
⇛統計等に力を注ぐことで、まちに関する客観的な情報を積極的に提供。

ダイバーシティの促進

⇛まちの25%が外国人、その差異がまちに動きを生む。
⇛たくさんの言語で書かれたエコバッグを役所の手続きの際に配布。言葉の違いを当たり前のものとして示すとともに、帰属意識を高める。(デザイン感覚の普遍性)


・産官学による連携によるイベント

オープンキャンパスならぬ、オープンドアイベントで、会社や設備を開放。住人の知的好奇心をくすぐる。

・メインストリート
⇛みんなが集うメインストリートがある。ここは、買い物をする空間であり、公園であり交流の生まれる場所である。こうした機能を持つ空間は日本の都市に少ない。

・自転車移動の促進
市民農園の充実
⇛土地の特性も含む。

・ローカルメディアの充実
パブリック・リレーションズが日本よりも洗練されている印象。一方的な日本に比べ、エアランゲンでは双方向に向う言論の公共空間が整備されている。日本との違いは大きい。

・企業の社会貢献
CSRが日本よりもかなり進んでいる。税制の優遇という面もあるが、良い街を作ることが、結果的に人材や良い環境を生み、それが企業にも還元されてくることをしっている。もう少し突っ込んでいえば、良い環境(まち)を作ることで、労働者の生産効率も上昇する。
こうした循環系のモデルをまちと企業が包んでいる。

シビックプライド
⇛お国柄、地域性も加味されねばならないが、まちに対する帰属意識は強い。郷土保護のNPOなども古くからある。相互扶助のメンタリティ。

エアランゲン歴史写真館フェイスブック
まちの歴史に気軽にアクセスできる権利の確保。
市外からもアクセスが集中。

補完性の原理の浸透(考え方のヒント)

⇛各レベルでの、自治と自己管理能力があって成り立つ。自己管理は権利であると同時に義務である。両者の緊張関係があってこそ成り立つ。
ところが日本では、権利ばかりが先に立ってしまっている。
義務をうまく伝えられていない。(最悪の場合、与えてすらいない)。

総じて、地域性という部分も大きい。シーメンスの本社があったり。
ただし、すべての主体が、街に対する依拠心を持っていることが、連環を生む鍵となっている。これこそがつながりというものだ。
このクオリティループがまちに好影響を呼んでいるのは事実である。
それそれが独立している日本の(一般的な)まちとえらい違いだ。

3月29日、立川談笑一門会


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半年ぶりくらいに、立川談笑一門会に行ってきました(久々に落語の話ですね)。

初めて生の落語を聴いたのもこの会だったので、思い入れがあります。

 

この頃仕事やなんや忙しく、気持ちも荒んでいたのですが、たくさん笑って、出ました。

オキシトシン(快楽ホルモン)。

 

立川談笑さんの「シャブ浜」が聴けて良かった。私は落語の素人ですが、談笑さんの人物描写は本当に息を飲むものがあると思う。

 

お弟子さんの吉笑さんが、言っていたように、噺家が「そこにある」と口に出したものは、話し手と聞き手で紛れもなく、イメージとして共有される。

その共有感を呼び起こす力が凄まじいのが談笑さんの落語(と、私は勝手に思ってる)。

 

これからも大事にしたい落語会。

プレミアムフライデーなんて有り得ない期末の金曜日。