シコウノイッタン

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【「戦略思考の広報マネジメント」を読んで】広報としてどれだけ社会課題に対して真摯になれるか

 

戦略思考の広報マネジメント

戦略思考の広報マネジメント

 

 先日、この放言ブログに、吉祥寺の某ココマルシアターのことを書いたところ、妙にアクセスが増えました。
普段、アクセス数が5とか(しかもクローラーじゃないのか。。。)なのですが、100とか。皆さんの#ココマルシアターへの関心の高さを感じた次第です。

相変わらず、劇場の対応はグダグダのようですが、引き続き頑張ってほしいものです。

そんなオーナーさんにも読んでほしいのが冒頭の本です。
電通パブリックリレーションズの人々が作った、現代版の広報の教科書といったところ。
良くも悪くもリーディングカンパニーを通じた現代版の広報セオリーが書いてあります。
具体的にどう行動に写すか、どう自社に当てはめていくかは、状況に応じて変わってきますが、勉強にはなります。
ただ、旧態依然とした日本企業では、そもそも広報に対する見方を変えなくてはならず、私の組織も含め、なかなか実践に程遠い部分もあると感じました。

現代の広報の概観を掴むには良書だと思います。

(こっからはただの備忘録券メモになります)

【チャプター1】なぜ広報に戦略が必要なのか
⇒広報戦略は、企業の背骨であり、一貫した姿勢が必要である。
⇒目的の明確化が必要になる。
⇒社会的思考で合意形成を図る
情報の受け手にたち、切り口や文脈を工夫する。そして自社の自己主張だけではなく、社会状況を概観しながら、社会の課題や業界の動向を取り込んでいくことが重要。
↑非常に勉強になりました。

【チャプター2】戦略的広報活動に必要な8つの視点。
①情報収集力
②情報分析力
③戦略構築力⇒ステークホルダーや時宜に応じた戦略の構築
④情報創造力
⇒IMPAKT(I=Inverse=逆説、対立構造=廉価VS高価)
(M=Most=最上級、初モノ、独自)
(P=Public=社会性、地域性)
(A=Actor=役者、人情=社長が地域で掃除など)
(K=Keyword=流行語などに沿った内容=育メン)
(T=Trend)
⑤情報発信力
⑥関係構築力
⑦危機管理力
⑧広報組織力

【チャプター3】以降は具体的企業の事例。
〔引っかかったワード〕
・情報は一気にださないと気泡になる。
・プレスリリースの前に人間関係が大事
・企業のトップが出ると本気度が伝わる。
・絵が撮れるかどうか。
・社会情勢に合致したリリースが大事
・ニュースとその因果関係の意識(チキンバーガーがたくさん販売される裏にBSEなど)
・自己主張ばかりのリリースはだめ。
・ヤフーニューストピックスは二軸〔公共性の高いものと、人々の関心が高いもの〕
・企業の広報に足りないのは行動力〔言い換えると、その情報をどこまで責任もってこたえるかの強さ〕
・スタバでは、社外へのメッセージを広報が一元管理。これにより統一されたメッセージを送ることができる。
・広報はタイミングがすべて。季節、イベント
・広報はもっと外に出なくてはいけない、うちに閉じこもるのはNG
・危機管理では日ごろの備えが重要だが、真摯に向き合い、スピードと誠実さを意識。
ソーシャルメディアでは反論、意見しない(火が燃え上がるだけ)
・自分たちの想い、いい訳めいたことは話さない。事実を誠実に。


【8/22追記】「吉祥寺バウスシアター」をしのびつつ、「ココロヲ・動かす・映画館 ◯」を臨む

【やっぱり謎対応が多いので最新の動向だけ追記しました】

かつて吉祥寺にあった「バウスシアター」でよく映画を見た。
ほどよいサイズ感(個人的にとくに50席くらいのシアター3が好きだった)と、作品のチョイス、そしてメンズデーの設定が嬉しくて、月2くらいのペースで通ったものだった。

バウスシアターの閉館以降は、なんとなく映画に対する熱が冷め、映画館で映画を見ることはめっきりなくなった。というか映画自体見なくなった。

Hulu、ネットフリックス、アマゾンプライムビデオなど、数々のストリーミングサービスと契約しているが、まず映画は見ない。
途中で集中が切れたり、2時間の確保ができなくて見きれないことが多くなった。

その辺りを考えると、映画館は「人を映画に誘う舞台装置」であって、(その人にしっくりくる)良い舞台装置がないと映画はなかなか成立しないのだなぁとしみじみ感じる。
私だけかもしれないが。

そんな悲しみの吉祥寺に新しい映画館ができるという話を、2017年の初頭くらいに聞いた。
名前は「ココロヲ・動かす・映画館 ◯」。なんとも不思議な名前だ。
そして、私は、バウスシアターの消えた悲しみを埋めてくれるかもしれないこの映画館をとても楽しみにしていた。

www.cocomaru.net

 

残念なくらいに空気が読めない

ところが、度重なる開館延期(記憶に頼るが4月オープン予定→GWオープン予定→8月末オープン予定※延期決定)と、どうにも難のあるコミュニケーション手法で、評判が芳しくない。

なかでも、はっきりしているのが、SNSの利用に於いて、まったく空気が読めない(大きな出来事に関してはネットで検索すればすぐに出てくる)

ちょっと具体例を挙げると……
・ポストに対して、リプライがない。
・特に手厳しい意見に対してはスルーを徹底している。(この映画館は今時らしくクラウドファンディングで資金調達をしており、その出資者たちが特に厳しい批判をしている様子が伺える)
・前回のポストで宣言したことがすぐに覆る。
・謝罪のポストをしたかと思いきや、次のポストは宣伝だったりする。

FB等で一連の流れを見ていると、誠実さを欠いた対応と思われかねないケースが散見される。

そのせいか、この「ココロヲ・動かす・映画館 ◯」でツイッター検索すると、定点観測を続ける(やや批判的な論調)人も見つかる。

本来であれば、これは期待の裏返しであるし、こうした言葉に真摯に答えるべきだと思うのだが、館はスルーを続けているようだ。これではヤキモキする。期待が翻って憎悪の連鎖になってしまう。

一時期、この映画館で「広報・企画」のボランティアを募集していた。この綱渡り的なコミュニケーションにヒヤヒヤしていた私は(一応PRプランナーなので)協力しようか、とも考えたが、結果的にやめた。
そもそも「広報・企画」という中枢をボランティアで動かそうという考え方に賛同できなかったからだ。言ってしまえば、ボランティアに対する「やりがい搾取」の臭いを感じた。


と、感じてやっと、「私が勝手にこの映画館にバウスシアターの影を重ねていた」ことに気づいた。
なんだかダサいJ-POPの歌詞みたいだが、そんな人、たくさん居るに違いない。

映画は、映画館と渾然一体となったとき、真に豊かな鑑賞経験を与えてくれる。
私にとってバウスシアターはそんな映画館であった。

どうしても期待値があがってしまう部分はあるが「ココロヲ・動かす・映画館 ◯」もそんな映画館になって欲しいなぁと思いつつ、なんとなく長続きしなそうな気もしている。

(想像に過ぎないが、長引く工事で、損益分岐点をもうかなり下回ってるのではないだろうか)

 

【8/22追記】
8月20日に、オープン延期のお知らせを出されている。

[http://:title]

そして、8月22日には楽器演奏スタッフ?を募集されている。

[http://:title]

舌の根も乾かぬうちに、この切り替えは。。。やはり、ちょっと、いや圧倒的にヘンである。

【2017年8月13日 矢来町土曜早朝寄席】桂宮治さん出演

f:id:rakugoafro00:20170815202535j:plain

久しぶりに、神楽坂の早朝寄席桂宮治さんの落語を見てきました。

今、飛ぶ鳥を落とす勢いの宮治さんなので、早めに、と開場(午前9時30分)と同時に入ったのですが。。。。

すでに8割はお客さんがいる。。
皆、きちんと人間生活送れているのだろうか。。。

と勝手に心配になりました(宮治さんの話だと、9時前からお客さんが並んでたそうです。「この高座はそうまでするもんじゃないよ」、と宮治さんが言っていましたが、そのとおりだと思います笑。)
私も同じ穴のムジナですが。

とはいえ、わずか1000円で落語が聞けますからね。
矢来町土曜早朝寄席。あまり人におすすめしたくないけど、おすすめです。

yaraichosochoyose.at.webry.info

 

結局、あまりの客足に、ありったけの椅子を持ち出し、椅子の間隔を詰め、なんとか約80人のキャパを確保。
満員札止めと相成りました。すごいですね。

高座も、相変わらずパワフルな落語で笑わせてもらいました。
演目は、
皿屋敷
「壷算」
「お台場~母さんのお弁当」

最後は新作でしたが、古典のイメージしかなかったので、少々びっくり。
宮治さんは、マクラも噺も面白いので、ぜひこれからも追いかけていきたいですね。


という、何のひねりもない感想文で今日はおしまいです。
(了)

 

【「石原都政副知事ノート」を読んで】過激発言に隠れたもうひとつの石原都政

 

石原都政副知事ノート (平凡社新書)

石原都政副知事ノート (平凡社新書)

 

 ひょんなことから本書を読むことになった。
石原都政時代、私は大学生(しかも山梨に住んでいた)~社会人という過渡期にあった。

都政はおろか、国政にも興味がない、どこにでもいる一般人であったように思う。
従って、石原都政のダイナミズムを感じることなく、せっかくの時代の傑物を見過ごしてしまったことに今や後悔もしている。

石原都知事の印象はやはり、メディアを通じて流されるファシスト的な言動が思い浮かぶ

ところが、本書を読むと、そうしたイメージは必ずしも正しくなく、やはり彼は生粋の政治家であり、東京都というマスの未来をきっちり見据えた人であったことが分かる。

その目線は、皆が想像する以上に、自治の目線であり、自立の目線である。ファシスト的な側面が一人歩きし、彼の本質的な思考がうまく大衆に伝わっていなかったことは、政治の難しさを物語っているように思う。

最後に石原氏を表現するに、著者は以下のウォルター・リップマンの言葉を引用している。

「直接的な政治闘争は本能的な知恵、力、証明不能の信仰を大量に必要とし続けるであろう」

「理性はそうしたものを規定することも統制することもできない」

彼はそれを体言していた、と。
細かい技術を紹介するビジネス本も大事だと思うが、こうした大人物の哲学に触れることも重要だと改めて認識した次第である。

 

本書は、非常に面白い一冊だった。
役人の書く文章はとかく読みづらかったり、詰まらなかったりするのだが、この青山やすし氏の文章は上手い。

話の運びがスムーズで、かつ随所にそのエピソードが読者に想起できるような小道具が丁寧にちりばめてある。
最後に著者の肩書きを見ると、作家としても活動しているとのこと。
納得いたしました。


もうすこし行政組織について書こうと思ったのだけど、文章もブレブレで頭がだめなので、また今度にします。気が向いたらリライトしよう。


夏休みの読書感想文でした。

山梨市長が逮捕された件で、山梨市のHPが魅せる華麗なスルースキル

www.jiji.com

現役の市長が逮捕されるという事件が起きました。
虚偽有印公文書作成・同行使容疑。
職員採用の口利きということです。

こんなこと民間も結構あるであろうし、事象としては驚くに値しません。
大方、地権者だったり、地縁に基づく声かけがあったのではないでしょうか。
いずれにせよ、ご自身の立場を考えられていない以上、お馬鹿だったのか、それか日常的にこういうことをしていて、罪の意識が麻痺していたのでしょう。

……じゃなくて、今回気になっているのは、市としての対応です。

というのも、山梨市のホームページが沈黙しています。逮捕された日(平成29年8月7日午後10時現在)、市長逮捕にまつわる情報は何もなく、薄気味悪いくらい平常運転をしています。鬼スルーです。

税金で食べさせてもらっている首長が、逮捕されたのです。
それに対する説明責任を、市民に対して丁寧に果たすことが、同じく税金で食わせてもらっている組織として取るべき対応なはずです。
まだ現時点では言えないことあるでしょう。だが、少なからず、市長の逮捕については触れねばならぬことだと思います。真実は隠さず、情報開示を適宜、適切に行うべきです。
にも関わらず、何の対応もなされていません。

このことから見て、山梨市には、きちんとした広報戦略や意識がないことがよく分かりました。

私は仕事柄、危機対応を常にウォッチしているので、ちょっとストーカー気質な部分はありますが、それにしてもスルーを決め込む市役所に対して、市民の不満は溜まる一方なのではないでしょうか。

もちろん、今頃、現場ではさまざまな対応に追われていることでしょう。ただし、真に考えるべきは、メインのステークホルダーである市民に対してであって、組織の倫理やマスコミ対応ではありません。

こうしたことの積み重ねが、地方自治と住民の乖離を生むのであろうなぁと考えてしまいます。なんだか悲しくなりました。

 

今も山梨市のホームページには逮捕された市長の言葉がならんでいます。こんな皮肉もありません。

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バニラエア騒動における白眉

バニラエアが、車椅子の客の搭乗を拒否した件で色々とザワザワしてます。

 

自分が障害のある木島某さんの立場だと想像すると(手法はともあれ)それなりに彼の主張も分かるし、バニラエア側の気持ちも分からなくもない。

ネット上の世論を見てみても、明確な答えが出ず、答えが二分してるように思う。

それからも分かるように、これは二元論で語れる問題ではないので、これを切っ掛けに社会には多様な人がいることを認識し、新しい関係性を構築していければいいんじゃないかなぁと思っている。

 

蒸し返すわけじゃないが、木島某さんはフェイスブックに書いていた。

「腕で登ったことが問題の論点ではなく、障害を理由に搭乗を拒否されたこと」が論点だと。つまり「人権侵害」について彼は訴えたかったわけだ(彼の採った手法や、その後の経緯に関しては私は語る言葉を持ちませんが。。)。

もちろん「事前連絡ガー」とか色々意見もありますが。某さんの話はここまで。

 

で、ここから切り口を変えて、「パブリックリレーションズ的な観点」からバニラエアの対応を見ると、これが良い意味で教科書的な対応で参考になりました。

騒動後のバニラエアの対応は次第点だったと思います。

具体的に何がというと、余計な言い訳をせず、反省と、それに対する改善を具体的に示している。

特に「仮に事前連絡をしていても(今回のケースでは)搭乗を拒否していた」と言い切ったのは良かったと思います(個人的にですよ)。

攻められると、「秘書がやりましたー!」的なお茶を濁す対応をしてしまいがちです。そう考えると、今回、バニラエアは真摯な対応をしたと分析できます。

要は「ほんまかいな?」と聞き手に感じさせる対応をしていないので、その分、問題に対する真剣さが伝わります。

国会なんか見てると私はいつも「ほんまかいな?」と思ってしまいますよ。文書のこととか。

(投資家の視線も踏まえた)真剣さの差でしょう。

 

あと具体的な対応策を打ち出すスピード感(マスコミを木島氏が抱き込んだせいもあるかもしれないが)と、変にスタンスをぶらさず安全を担保した対応策の打ち出し(それしか打ち手が無かったのかもしれませんが)も良かったと思います。

これで圧力に負けて「スタッフが担ぎます!」とか言い出したら、策として下の下でした。

 

ともあれ、事実を全部さらけ出した上で謝罪するってのは本当に難しいもんです。

一応それをやっているので、今回の件はパブリックリレーションズ的に勉強になりました。

 

まぁどの立場に立っても、あまり気持ちの良いものではなかったかもしれませんが。

 

都市のデザインは障害のある人の目線でまだまだ作られてません。少しづつ和合していければと改めて思います。

 

※今回は結構想像で書いてますのでいつも以上に()が多くなっております。

公務員に大事な忖度

忖度という言葉が、国の偉い人から出て、流行語ともなりそうな勢いだ。

確かに、一地方自治体職員として感じるのは、行政の仕事は忖度が大事であるということ。

 

忖度に忖度を重ねて発言する、文書を作る、政策を作る。これがきちんとできる公務員は有能だとされる。

 

ただし、有能な公務員が、正しい公務員であるとは限らない。

忖度が上手い公務員は、また忖度によって行動を縛られる。

仕事を上手く運ぶための手段の一つであった忖度が、目的とは言わないまでも、絶対の手段となり、本質的な問題解決から遠のく。

忖度は効率的な行政「運営」のための一つの事象、事実であるが、理想の行政の形でも、目的でもない。

 

 

何が言いたいかと言うと、忖度に疲れました。