シコウノイッタン

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感謝と感謝の連鎖の話【任天堂】


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全盲の長男が任天堂に送った手紙。まさかの“神対応”に賞賛の声」

という記事があった。

 

要は、全盲の少年が唯一遊べたテレビゲームが任天堂の「リズム天国」で、それについて感謝の手紙を送ったら、すぐに丁寧な返事と、感謝の言葉が返ってきた。

という内容。

 

記事の取り上げ方と周囲の反応に若干違和感があった。

 

任天堂は、恐らく「神対応」なんて微塵も意識してないし、日常的に感謝の言葉に対して、感謝の言葉を返してきたのだろうと思う。

任天堂は楽しいゲームづくりを目指していて、楽しいっていわれたら、当然嬉しい。そうした意見に対して「ありがとね、これからも期待してて」、って伝えるのはコミュニケーションの基本な気がする。ましてや任天堂のように大きな企業ほど、本来はそういうところがきっちりしているはず。

 

なので「神対応」などと安直な言葉の使用には違和感。メディアが変な情報の切り取り方をすることは、誤った任天堂のイメージを作るし、ニュースの本質が変わってしまう。

 

 この記事の本質は企業体と消費者のコミュニケーションにあるのではないか。

 

今回は少年(と親)が感謝の言葉を自ら発している。嬉しくて嬉しくて、どうしても伝えたかったのだろう。その気持ちを考えると思わずじんわりきて、「あぁ、いい話だなぁ」で終わってしまう。

 

 でもやっぱり注目したいのはそこではない。

消費社会では、コンシューマーとプロダクション側は完全に上下の関係になっている。

金を出せば、その対価分のサービスが得られる、またはその権利がある、という思考。その思考が、両者の関係をぶつ切りにしてしまっている。でも少年は違った。

(もちろんハンディキャップというバックグラウンドはあったが)声を寄せることで、受け手と出し手のコミュニケーションを作った。だから、結果的にこうした感謝の輪が拡がった。

そういう良い消費の関係の在り方を示してくれた例である。神対応とか障害とか、妙な色眼鏡は不要だ。

 

さて、(私も含めてだけど)この記事を賞賛している人たちは、プロダクトに対して感謝の言葉を寄せたことなんてほとんどないと推察する。

 

クレームじゃなくて、たまには感謝を伝えてみよう!

記事にはならないけど、じんわりとした感謝の輪が拡がるかもね。(適当)

 という壮大な前フリでした。

 

あと、この記事における両者は素敵です。