素人と落語と書評

落語や社会のはなしなど、つらつらと

分かってる人はだいたい分かってない

「それね、今かなりジワジワ来てんだよね。やっぱ分かってんなー。」

こんなステロタイプな会話があるのかは分からないが、こういう訳のわからない共感覚の強要は鼻につく。

 

分かってる同士、みたいなコミュニケーションは「分かってる世界の境界」を拡げるかもしれない。

ただ、それが進むと、「分かってる世界」の地表はどんどん隆起して、やがて上から目線に繋がってくる。それはエベレストの頂から地球の丸みを見るようなものだ。

そうなると、マスとの接点が途切れ、現実世界でいずれ不和を起こす。

 

彼らの論理は、「大衆は分かってない」なので(あの感情は、過去のダサかった頃の自分に対するトラウマなんじゃないだろうか)、別に自分たちこそ素晴らしい、それでいいんだろう。うんうん、分かるよ。

でも、もし自分の「分かっているもの、信じるもの」が素晴らしいものである(と少なからず信じる)ならば、それを伝える努力が必要なんじゃないだろうか。

だって、良い物なんでしょ? 拡げればいいじゃん。

なんでそこに境界線を引くんですかね?

あっ、実はそれ自己満足なんじゃない?

という意地悪な言葉が続きそうになる。

 

分かってる人は凡百。

分かっている上で、分かっていない人との間に橋を架ける努力の必要に気づいている人だけが尊いのだろう。