シコウノイッタン

落語や社会、本など、偏見だらけの話をつらつらと

「高齢者の暴力増」というよりも「社会全体のモラル減」

高齢者による暴力事件が増えているようです。
確かに、新聞テレビ等でこうした事案に触れる機会が増えたような気がします。
私は毎日1時間ほど通勤で電車に乗るのですが、電車の座席で足を広げて空間の無駄遣いをしたり、自分のスペースが狭いと隣から小突いてくるのは、殆ど高齢者、というか50代以上ですね。結構な頻度であります。

従って、「高齢者の暴力増」というのは感覚的には理解ができます。
ですが、この事象は「高齢者」というよりも「社会全体のモラル減」という観点から見るべきだと思っています。
そして、我々はこの「事象」に対してどのような形で向き合っていくべきかを考えています。

高齢者の検挙率は大幅に増えている

さて、まずは実際に、警察庁の出している「H28の犯罪情勢」という資料から数字を見てみましょう。
https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h28hanzaizyousei.pdf
p89に「高齢者・非高齢者別刑法犯検挙人員、人口 10 万人当たり刑法犯検挙人員 H19-H28 の推移」があり、それによるとやはり増加傾向にあります。
平成19年の高齢者の検挙人数の割合が13.3%なのに対し、平成28年では20.8%と大台に乗せています。

この背景には、単純に高齢社会によって、その母数の裾野が広がっていることが、第一の理由だと思います。
その他の理由で面白いなぁ、と思ったのが、「暴れていた世代が大人になったから暴力に抵抗感がない」というネットの指摘。火炎瓶とか当たり前に投げていた世代ですから、一理あるように思います。
あとは、性質的な面で、加齢による考え方の柔軟さの逓減、なんていうものもあるかもしれません。
推測にはキリがありませんが、いずれにせよ、こうしたトレンドはこれからも母数が増える以上、続くと思われます。

日本人は日本人から見て勤勉なのだろうか?

さて、ここで、いきなり話が飛びます。
私はかねてより、「日本人は素晴らしい」とする日本人信仰に疑問を抱いていました。
日本人は勤勉で、真面目で、かつ謙虚で……なんていうステレオタイプ的日本人像を濫用するメディアなどに違和感があったのです。
確かに外国人から見て、日本人は勤勉と評されることは少なくないようです。少なからず、私が購読している英字新聞のコラムなんかには、そんな日本人評がよく書いてあります。

ですが、眼前にある日本人の「勤勉さ」は、我々がステレオタイプとして掲げる「それ」よりも質が落ちてきているのではないでしょうか。果たして、今の「日本人は素晴らしい」というに足る存在なのか?
私は日々、公共空間で人々を見ていて、(もちろん自分も含めた)劣化を感じます。どちらかというと、先進国の人間として、欧米やその他の列国と同じく、均質化してきているというべきかもしれません。
従って、形象化した日本人像をいつまでも振りかざし続けるのは危険だと思うのです。

これまで、なんとなく、日本人は「真面目」で通ってきましたが、我々は、そのイメージにアグラをかいていたとも言えます。

考えてみると、小さいころは親がマナーを教えてくれましたが、社会の成員となるころには、そうした教えを授けてもらえる機会はそうそうありません(もちろん、ビジネスマナーとかは別ですが)。
前述の真面目という日本人観から、社会全体が「大丈夫」と思い込み、大して見直しを計ってこなかった。
つまり、日本社会のスタンダードたるマナーにPDCAの考え方を持ちこまなかった。
これが、劣化・均質化の原因の一つではないかと、私は仮説を立てました。

マナーは風化するもの

マナーは風化します。
絶えずブラッシュアップしなければ、質の維持ができないことは、(ここでやっと冒頭の部分に戻るのですが)先の数字が示す通りではないでしょうか。

そして、これを「問題」と捉えるのであれば、国や自治体、ひいては社会全体がマナー啓発のための取り組みを進める必要があるかもしれません。私は、マナー教育まで、国や組織が面倒をみるべきではないと考えていますが、場合によってはこうした対応も一つの手段になるでしょう。

一方でこれを「事象」と捉えるのであれば、日本も、より個人主義の国になっていくのかもしれません。

 

どういう社会を望むのか、ということを、個々人がまず考えてみる必要がありそうです。
他人のことを少し考えて行動する。皆がちょっと頑張るだけで、だいぶ解消できる問題なんですけどね。
(何様でしょうか。全体を通して偉そうないいぶりになってしまいました。不快になったらごめんなさい。)