シコウノイッタン

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【映画】『わたしは、ダニエル・ブレイク』~国家にとって「私」とは。「制度」を巡って~

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『わたしは、ダニエル・ブレイク』ジャケ写

わたしは、ダニエル・ブレイク』ジャケ写


あけましてなんとやらです。

年末もバタバタしていたのですが、この映画だけ、なんとかみることができました。なかなか感じ入ることが多かったので少し書こうと思いました。

【目次】

 

▼まずは超簡単なあらすじ(ネタばれ)

物語の筋はシンプルです。

  1. 主人公ダニエルは大工。心臓の病気で働けなくなり、(日本でいう)障害年金を受給しなくてはいけなくなった。
  2. 舞台であるイギリスの社会保障は、めちゃくちゃ受給条件が厳しい。いじわるとしか思えないような役人とのやりとりに辟易するダニエル。
  3. すったもんだしていた役所でシングルマザーと出会う。彼女もまたお金に困っている。
  4. 交流を続けるなか、シングルマザーが困り果てて、窃盗、ついで売春に身を落とす。
  5. いろいろあったけど、シングルマザーは苦境から脱出。人権派の弁護士を通じて、ダニエルの受給も認められそうになる。が、ダニエルは受給を争う問答の直前に心臓発作で死亡。
  6. ダニエルの葬式で、シングルマザーによる、取り立てて特別でもない、「普通の弔辞」が読まれておわり。


…と、まぁジャケ写からは想像もつかないような救いのない展開です。

▼イギリスの社会保障制度に対する痛烈な批判と、制度というものに対する警鐘

シンプルに見れば、この作品は、イギリスの社会保障制度に対する痛烈な批判でしょう。私はそれに続いて、「制度」という一種の権力が持つ危険性に対して警鐘を鳴らしているように見えました。
その辺を少し補足したいと思います。
 
まずは劇中、何回も「税金をきちんと納めてきた」というセリフが出るのですが、普通に納税をしていても国はダニエルにお金をあげようとしません。
そして最終的に、「人を救うための制度(社会保障)」がダニエルを間接的にとはいえ「死に追いやってしまう」のですから、もはや事故ですね。

一般的に「制度」とは、見方を変えれば、効率化のためにあります。
従って、その制度(効率化)を突き詰めることは、柔軟性を失わせ、本当に支援の必要な人に寄り添えなくなる危険性を孕んでいることを、この映画は教えてくれます。

そしてその制度を業務として突き詰めるなかで、役人も「本質を失っていく」という描写が嫌というほどありました。
彼らのミッションは本来、「住民(ダニエル)の福祉の向上」にあるはずですが、劇中の役人のミッションは、「いかにして受給を止めるか(あるいは税金の支出を抑えるか)」にすり替わっています。
これは「制度」というものが持つ「強力な力」が、役人の思考を停止せしめたことを表しているでしょう。

▼尊厳すらも制度は奪い去る

そして、役人(国家)は、この「制度」というフィルターを使って、ダニエルを「個性を持った一人の市民ではなく」、「受給希望者〇番」というように、まるで記号のように扱っていくことになります。
結果的に、このことがダニエルの尊厳を奪い、終盤の非常に印象的なシーンにつながっていくことになります。
ダニエルは、「これ以上面倒を起こすと支給が止まるぞ」と警告する役人に対し、「尊厳を失った時点で終わりだ」と返すのですが、ここでも、突き詰めれば「制度」は人の尊厳をも奪いうる「強力なもの」であることが示唆されています。

…込められたテーマを掘り下げていくと、そのほかにもたくさん書きたいところがあります。が、きりがないのでそろそろ止めにします。
この映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、こうした「(社会保障)制度」を媒介に、一市民(弱きもの)と国家(強きもの)という対立をシニカルかつ、奥深く描いた良い作品でした。

あらすじにも書いたのですが、最後の場面、シングルマザーが読み上げる弔辞もすごく「普通」なんです。特にスペシャルでもない一人の市民の死がそこに描かれています。そこには二つの対立軸を巡っての最大の皮肉が込められているようでした。

ほぼBGMを使わず、非常に淡々した編集で綴っていくのも非常に映像として効果的だったように思います。

まぁシングルマザーの転落があまりにもステレオタイプ過ぎたのと、演出なのか、淡々としすぎて登場人物の内面描写があまりなかったのは少し気になりましたが、年末にかけてうーんと考えさせられる映画でした。
特に制度を巡っては、国家の限界、というものを感じましたね。
われわれの年金ですらどうなるか分からないですし。
われわれ一人一人に国が寄り添ってくれるかどうかは不透明ですし。
まぁだからといって、改革しろ!と叫ぶわけではありませんが。

さて、こんな感じで今年もだらだらと書き綴ってまいります。