シコウノイッタン

読んだ本や、映画の話など、偏見だらけの話をつらつらと

【書評(のようなもの)】黒島伝治『パルチザン・ウォルコフ』『橇』『雪のシベリア』

 

 

 

ソビエトもの小説の大家 

読みました。

黒島伝治プロレタリア文学の人で、ソビエト従軍をした関係で、いわゆる「ソビエトもの」の作品群の評価が高いそうです。
私も先日まで知らなかったのですが、読んでみると実に面白かったので、記録に残すことにしました。
といっても雑多になるので個別の感想は控えます。

▼作品群に共通するもの

さて、黒島伝治のどの作品にも共通して描かれているのは、シベリア出征において

日本兵には厭戦気分が広がっており、人殺しをすることに躊躇いを感じること

②日本国家への忠誠の弱さ
です。

 

シベリアの極寒や、大義なき侵略戦争厭戦気分を広げた()のは想像に難くないですが、それ以上に、第二次世界大戦のときに描かれるような、兵士と国家の一体感()が作品からは伝わってきません。


それはなんでだろうと考えたのですが、当時は、近代国家樹立の黎明期で、国家的なイデオロギーがまだまだ弱かったのだなぁと推測しました。

言い換えれば、第二次世界大戦にて日本国家はイデオロギーとしての最盛期を迎え、終戦とともに崩壊した、という。
まぁこのへんは勝手な想像ですが。

▼描かれる泥臭い兵士たち

話を作品群に戻すと、「厭戦気分」で「人を統御するイデオロギー」が弱いので、軍隊といえど、妙にみんな人間臭く、バラバラ。黒島伝治の作品で描かれるのはそんな人たちです。
また、日本兵の視点だけでなく、パルチザンソ連の農民兵)の視点も描かれます。

そうした人たちの視点をバランスよく取り入れ(すなわち、そこでは善悪二元論が語れない)、かつ短い文章のなかで、わかりやすくウィットに富んだパンチラインを入れてくる、という。黒島伝治はそんな凄い作家でした。

amazonでも無料で読めますし、青空文庫でも読めるので、「ソビエト」「シベリア抑留」とかのワードに興味がある人はぜひ読んでほしいなぁと思います。


なんか勝手なイメージですが、兵士それぞれの描写は、私が好きな漫画の一つ『あれよ星屑』にも親しいものを感じます。

 

↑ こちらも名作!

▼シベリア抑留へもつながるシベリア出征

余談ですが、以前、シベリア抑留を経験した人のドキュメンタリー映像を作りました。
制作にあたって、お話を聞いたり、シベリア抑留について勉強しながら考えたのは「この出来事は単純な善悪では語れないなぁ」ということです。まさに黒島の描くところと一致します。


確かにシベリア抑留こそ一方的だったけど、遠因には真珠湾の奇襲があって、満洲支配もあって、……という因果の応酬のようなものを感じたんですね。

そして、その遠因の一つ、因果の鎖の一つであった「ソビエト出征」でのエピソードが、黒島伝治の作品群の中に描かれていたのは、非常に興味深かったし、まるで謎が解けたというか、勉強になりました。

シベリア抑留というと「ソ連憎し」という言葉でくくられがちなのですが、ソ連の側はソ連で、「日本人憎し」という感情を抱いていたことを、フィクションながら(なかば私小説なのかもしれませんが)黒島伝治の作品は教えてくれました。

いやはや、エンタメ小説としても十分面白いし、表現も豊かで読み応えがあります。
おすすめです。一応、リンク貼っておきますね、無料なのでお気軽にどうぞ。

 

※この日記を書くにあたり、下記の記事がおおきなヒント&参考になりました。非常に素晴らしい記事なので、併せて読んでいただくといいかもしれません。
※あと私は義務教育過程において、歴史嫌いマンだったので、歴史認識が正しくない部分があるかもしれませんが、ご容赦ください。

jbpress.ismedia.jp



了。

 

 

雪のシベリア

雪のシベリア

 

 

 

橇

 

 

 

 

【映画】『海底47m』〜いつだってサメはB級の証(45点)

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安定のエンドロールにハードロックな映画

見ました。

初めにいっておきます。
エンドロールにはパンキッシュなハードロックが流れます。
もうお分かりですね。
B級映画です。

ジャンルはパニックホラーっていうんですかね。
「海に溺れるモノ」の映画って割と出尽くした感があるので、既視感アリアリでした。

海の中の危険要素である、「サメ」と「潜水病」というフルコース料理を頑張って出したのはいいんですが、味つけも大味な感じ。

 

海底47m』の超簡単あらすじー

主人公と、妹がメキシコでケージに入ってサメを見学するツアーに参加する。

ケーブル切れて海底へ。
一度は引っ張り上げられるが、また切れて再度海底へ。

サメとバトルする中で妹がやられる。
と思ったら実は生きてて、なんとか生還。
と思ったら潜水病から来る妄想。

結局、主人公だけ救助されておしまい。


一言感想

映画自体はテンポもよくて見れてしまうのだけど、夢中になれるようなドライブ感はないですね。
それは、最初に述べたとおり、既視感があったり、海中というシチュエーションの中で用意できる引き出しが、ある程度限定されるからなんでしょうが。

いずれにしても、現地人とのイチャイチャとか描かずに、姉妹の絆の掘り下げとか、恐怖表現とか、やることは他にあったような気がしなくもない映画です。


45点なので、簡単な記録にしときます。

 

了。

【映画】『スケア・キャンペーン』の感想〜65点くらいはあげられるホラー〜

 

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結構面白いけど評価分かれる

見ました。

個人的に結構面白かったんですが、おおむね評価は分かれるようです。
ご興味のある人はamazonプライムビデオで見れるのでどうぞ。


『スケア・キャンペーン』のあらすじー(ネタバレ)

『スケア・キャンペーン』というドッキリ番組を手がけるクルーたちがメインの登場人物。
視聴率低下に伴い、もっと刺激のある番組を上から要求されるクルー。

そこでディレクターは、ターゲットをドッキリに嵌めると見せかけて、クルーの演者であり主人公・エマを嵌める、という二重ドッキリを考案する。

撮影は途中までうまく行ったものの、突如仮面を被ってスナッフフィルムなどをネット上にあげる過激集団の闖入を受ける。

過激集団は、クルーを一人ひとり殺害していく。
そして最後に残った、エマとディレクター、幽霊役の新人・アビーの3人。
仮面男は「エマともう一人は生かしてやる。選べ」と言われ、いろいろあってアビーを選択。

ディレクターは失神させられる。
目覚めたディレクターは、その先で、アビーは過激集団の仲間であったことを知る。
エマの危機を悟るが、動けないディレクターは生きたまま焼却炉に運ばれる。

一方、車で逃走したアビーとエマは警察に行こうとする。
そして、車の中にあるカメラに気づくエマ。
その映像は、一体、誰が、どこから、なんの意図で見ているのか?

その答えは明確にならず、映画はこのシーンでおしまい。

個人的注目ポイント

オチが弱いとか批判がありますが、あえて明確にしてないんだと思います。
意図的な余白で、人々の想像力の入り込む隙間を作っているわけですね。

というか、話を見れば余白だらけなんです。
そもそも、過激集団がなぜ人を殺しているのかも分かりません。
本当にクルーが殺されたかも分かりません。
ディレクターが殺されたかも分かりません。
エマがどうなったかも分かりません。
なぜエマが生かされたかも分かりません。

描かれないから『トゥルーマン・ショー」的なメタ要素の可能性すらありますね。

 

それらを含めて、どこまでが本当でどこまでが嘘なのかはっきりしません。
そういう疑心暗鬼の観念を提起させるのがこの映画の目的なんじゃないでしょうか?

そして、その疑心暗鬼という一種の不安定状態を楽しむ、という。

でも一つはっきり製作者が突きつけている事実があります。
それは、この作品がフィクション(嘘)だということです。

嘘の舞台の上で、嘘・真を論じようが、嘘なんですよね。
これは皮肉なんだなぁと思います。


いずれにしても、テンポがいいし、なんとなく筋は読めるけど、最後まで謎が明かされないのは、ある意味我々の想像の上を行く、というか。
要はナンセンス映画ということですね。
時間があれば見てもいいかもしれません。

 

あと、エマ役の女性が可愛いです。

 

 

【映画】『ハクソー・リッジ』の感想〜実話じゃなければ帰ってた〜

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▼まぁまぁ普通に面白い映画

見ました。
グロ表現に定評のあるメル・ギブソン監督の作品です。

太平洋戦争の沖縄戦において、キリスト教信仰のもと、人を殺めず、救い続けた実在の衛生兵の物語。

この映画の良い点はとにかく分かりやすいこと。
筋立てはシンプルですし、戦場描写も分かりやすい。

戦争映画って、途中、どこで戦っていて、どういう方面に進行しているのか分からないことがありませんか? 右上とかにミニレーダーみたいの欲しいって思いませんか?


それはさておき、この映画は、舞台(ハクソー・リッジと言われる台地の上)が限定されていて、かつ戦闘行為そのものは主題ではないので、状況把握は難しくない。そういう意味では、分かりやすく、エンターテインメントとしては楽しめる映画でした。

▼実話ベースのファンタジー

ただまぁ、歴史考証的に見ると、日本兵はあんなにワラワラと現れてこなかったでしょう。物量差は歴然でしたので、夜間のゲリラ戦が主体であったはず。その辺りからファンタジー色が強くなってきます。
事実ベースとは言え、「映画にする」ということは、ある種の歪曲も致し方なしなのかなと思って見ていました。

あと、軍曹の軽機関銃、何発、弾発射できんねん!、というぐらい軍曹が無双します。この辺りの見せ場も、見せ場感が強くてちょっと。。

そして、最後の最後に主人公が隠し持っていた華麗な体術。
こうくるかー、と思いました。

というわけで、基本的には実話ベースのファンタジーというか、面白さはあっても深みがない、というのがこの映画の正直な感想です。

▼見え隠れする神の存在

最後、主人公は担架で崖から降ろされていくのですが、まるで天に登っていくような表現がなされます。
あれは、彼が神の下僕であり、かつ戦場での行いによって、(エヴァ劇場版でいう)疑似シン化したのに類似する表現でしょうね。

そういう、とにかくキリスト教を主軸にした、あざとさが鼻についてしまうので、あぁこれは戦争を描写する映画というよりも、イデオロギーの映画だなぁ、と最後の最後に気づかされました。

「事実をもとにして作られた」という「事実」がかろうじて、この作品と視聴者をつなぎとめているような気がしました。

なんだか辛口になってしまいました。

【映画】『わたしは、ダニエル・ブレイク』~国家にとって「私」とは。「制度」を巡って~

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『わたしは、ダニエル・ブレイク』ジャケ写

わたしは、ダニエル・ブレイク』ジャケ写


あけましてなんとやらです。

年末もバタバタしていたのですが、この映画だけ、なんとかみることができました。なかなか感じ入ることが多かったので少し書こうと思いました。

【目次】

 

▼まずは超簡単なあらすじ(ネタばれ)

物語の筋はシンプルです。

  1. 主人公ダニエルは大工。心臓の病気で働けなくなり、(日本でいう)障害年金を受給しなくてはいけなくなった。
  2. 舞台であるイギリスの社会保障は、めちゃくちゃ受給条件が厳しい。いじわるとしか思えないような役人とのやりとりに辟易するダニエル。
  3. すったもんだしていた役所でシングルマザーと出会う。彼女もまたお金に困っている。
  4. 交流を続けるなか、シングルマザーが困り果てて、窃盗、ついで売春に身を落とす。
  5. いろいろあったけど、シングルマザーは苦境から脱出。人権派の弁護士を通じて、ダニエルの受給も認められそうになる。が、ダニエルは受給を争う問答の直前に心臓発作で死亡。
  6. ダニエルの葬式で、シングルマザーによる、取り立てて特別でもない、「普通の弔辞」が読まれておわり。


…と、まぁジャケ写からは想像もつかないような救いのない展開です。

▼イギリスの社会保障制度に対する痛烈な批判と、制度というものに対する警鐘

シンプルに見れば、この作品は、イギリスの社会保障制度に対する痛烈な批判でしょう。私はそれに続いて、「制度」という一種の権力が持つ危険性に対して警鐘を鳴らしているように見えました。
その辺を少し補足したいと思います。
 
まずは劇中、何回も「税金をきちんと納めてきた」というセリフが出るのですが、普通に納税をしていても国はダニエルにお金をあげようとしません。
そして最終的に、「人を救うための制度(社会保障)」がダニエルを間接的にとはいえ「死に追いやってしまう」のですから、もはや事故ですね。

一般的に「制度」とは、見方を変えれば、効率化のためにあります。
従って、その制度(効率化)を突き詰めることは、柔軟性を失わせ、本当に支援の必要な人に寄り添えなくなる危険性を孕んでいることを、この映画は教えてくれます。

そしてその制度を業務として突き詰めるなかで、役人も「本質を失っていく」という描写が嫌というほどありました。
彼らのミッションは本来、「住民(ダニエル)の福祉の向上」にあるはずですが、劇中の役人のミッションは、「いかにして受給を止めるか(あるいは税金の支出を抑えるか)」にすり替わっています。
これは「制度」というものが持つ「強力な力」が、役人の思考を停止せしめたことを表しているでしょう。

▼尊厳すらも制度は奪い去る

そして、役人(国家)は、この「制度」というフィルターを使って、ダニエルを「個性を持った一人の市民ではなく」、「受給希望者〇番」というように、まるで記号のように扱っていくことになります。
結果的に、このことがダニエルの尊厳を奪い、終盤の非常に印象的なシーンにつながっていくことになります。
ダニエルは、「これ以上面倒を起こすと支給が止まるぞ」と警告する役人に対し、「尊厳を失った時点で終わりだ」と返すのですが、ここでも、突き詰めれば「制度」は人の尊厳をも奪いうる「強力なもの」であることが示唆されています。

…込められたテーマを掘り下げていくと、そのほかにもたくさん書きたいところがあります。が、きりがないのでそろそろ止めにします。
この映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、こうした「(社会保障)制度」を媒介に、一市民(弱きもの)と国家(強きもの)という対立をシニカルかつ、奥深く描いた良い作品でした。

あらすじにも書いたのですが、最後の場面、シングルマザーが読み上げる弔辞もすごく「普通」なんです。特にスペシャルでもない一人の市民の死がそこに描かれています。そこには二つの対立軸を巡っての最大の皮肉が込められているようでした。

ほぼBGMを使わず、非常に淡々した編集で綴っていくのも非常に映像として効果的だったように思います。

まぁシングルマザーの転落があまりにもステレオタイプ過ぎたのと、演出なのか、淡々としすぎて登場人物の内面描写があまりなかったのは少し気になりましたが、年末にかけてうーんと考えさせられる映画でした。
特に制度を巡っては、国家の限界、というものを感じましたね。
われわれの年金ですらどうなるか分からないですし。
われわれ一人一人に国が寄り添ってくれるかどうかは不透明ですし。
まぁだからといって、改革しろ!と叫ぶわけではありませんが。

さて、こんな感じで今年もだらだらと書き綴ってまいります。

 

【雑記】『2001年宇宙の旅』を見て父になることを考える(若干のネタバレあり)

 ▼めっちゃ深い『2001年宇宙の旅』(若干のネタバレあり)


4K/BD【予告編】『2001年宇宙の旅 HDデジタル・リマスター』12.19リリース

先日、ようやく『2001年宇宙の旅』を見ました。

もう何回もトライはしていたのですが、あのスタイリッシュな映像(まったりとも言う)を見るたびにいつも寝落ちしてしまい、なかなか最後まで見切ることができなかったのです。

それにしても、あの映像美は今見ても遜色ないですし、驚くばかりです。
とまぁ、そんな感じで最後まで見たら非常に面白かったのですが、特段キューブリックのファンでもないので、細かい作品の解説は、その他サイト等を見ていただければと思います。

とはいえ、これから私の考え事を書くために、めちゃくちゃざっくり、物語の筋を書きます(何も参照していないので記憶違いがあるかもしれません)。

▼『2001年宇宙の旅』てきとうなあらすじ(ネタバレあり)

①人類が栄える前の時代に、モノリス(石版)が現れ、それに触れることで、猿たちが知恵を身につける。

②ときは進んで未来。月にモノリスが再び現れる。

③ボーマン船長その他クルーが調査に行く。その途中で、スペースシップに搭載されている人工知能「HAL」の反乱にあったりして大変な目にあう。

④それでも旅を続け、ボーマン船長はモノリスに触れる。

⑤知恵の実に触れたことで、超越世界を通り、ボーマン船長は進化し、スターチャイルドに転生。ボーマンことスターチャイルドは地球を見やる。

⑥おわり。

まぁざっとこんな感じでしょうか。

▼人間は誰しもがスターチャイルド

で、ここからが本題。

ちょうど育児休暇の真っ最中に見たこともあって、「親になる」というのは、「あぁ、まるでモノリスに触れてスターチャイルドに進化することだなぁ」と感じました。

子供というモノリスに触れることで、進化する。
そして一段高い視座から世界を見下ろす。
そういう不思議な感覚を、映画を通じてリフレインすることができました。

親になると、今まで見えなかったことがたくさん見えてきます。
わかりやすいところで言えば、お金の問題。
育児の問題。

今なら「日本死ね!」と書いたあの主婦の主張も分かります。
保活とは、そのくらい、暮らしに影響するものだったんだなぁと。
ちなみに、まさに我が家も保育園の問題で揺れています。
考えると暗い気持ちになります。

……とまぁ愚痴っぽくもなりますが、こんな感じで、一人暮らしから、夫婦の暮らし、そして家族の暮らしというように、人生は少しづつ時間の経過とともに複雑みを帯びていくものです。
そして、その折々で視座は変わり、これまで見てきたものを達観する(できる)ようになる。そうした意味で、我々は形象こそ変わらないけれども、「誰しもスターチャイルドである」、という滅茶苦茶に飛躍した結論を、この「2001年宇宙の旅」から勝手に得ました。

▼人間は現状維持できない生き物

いずれにしても、「2001年宇宙の旅」で中心に描かれていたのは、「旧いもの=退化」と「新しいもの=進化」という2軸です。
かつ、その2軸は対立的(善悪)にではなく、どちらかというと不可逆のものとして描かれています。

ステージを上がる(進化)ことは、過去に遡れないことも意味する。
それは人生においても同じで、我々は大小異なりはするけれども、日々、なんらかのモノリスによって啓示を受けています。
つまり、進化は実は機械化されていて、個人の本質(というものが存在するのであれば)は定点に留まることが許されないのです。

ゆえに、人間は進化的存在であって、そのことに自覚的であるべき、というメッセージをこの映画から受け取った気がします。そこにスターチャイルド的な跳躍としての進化があるかは別ですが。


本題を大きく切り返して、映画の論評をして今日は失礼します。

 

 

【書評】『公共R不動産のプロジェクトスタディ: 公民連携のしくみとデザイン』〜あなたのすみたいまちはどんなまち?

 

公共R不動産のプロジェクトスタディ:  公民連携のしくみとデザイン

公共R不動産のプロジェクトスタディ: 公民連携のしくみとデザイン

 

読みました。

公共R不動産という素敵な会社が手がけた公共空間の活用プロジェクトやら、国内外のさまざまな事例が掲載されていて、「資金調達とか、小難しい話はわかんないんだけど、とにかく行ってみてー」となる本です。

 
▼将来の暮らし方を想像したことは?

日本って今ひとつ、公共空間を活用した取り組みが遅れているような気がします。
特に都心部などは、狭小な土地を奪い合うように切り刻んでいった結果、見事なまでに「良い」空間とか、「良い」景観とかいった概念がすっぽり抜け落ち、とにかく「詰め込むだけ詰め込んじゃえ」感があります。

そうした空間において、都心の人々は、ライフスタイルよりも、ライフサバイブといいますか、なんちゅうか日々の暮らしをサバイブしていくような鬼気迫るものを感じます。

とはいえ将来的に、日本人はもっとモノ消費よりもコト消費(しかもお金がかからないコト消費)、つまりライフスタイルに目を向けた生活に傾斜していくと私は考えています。

その理由は単純で、将来的な増税等々により、可処分所得の減によって、物が買えなくなるからです。
国は、搾り取れるところは徹底的に搾り取るスタンスなので、特に社会のミドルからロワーサイドに属している人々は、生活が苦しくなるのは簡単に予見できるような気がします。
そうすると、ショッピングなどに消費されていた時間がどこで消費されるか?

公園など、限りなく安く使える公共空間・公共施設ではないでしょうか?

つまり、休日は近所の公園でまったり過ごす、みたいなライフスタイルに、ある意味不可避的に人々の行動が収斂していくのではないかと考えています。

消費行動ではなく、もっと生活の質に目を向けた(やや後ろ向きな理由ながら)ライフスタイルへの変化。
そうなると、公共空間の重要性というものは、ますます問われるようになるはずです。

と、まぁこの見立て、「なんか冒頭の本に絡めて強引じゃね」と言われても仕方ないかもしれませんが、私は日頃からそう考えているんです。

▼公共空間を巡る問題はたくさん

ところが、その公共施設・空間に関してもいろいろな問題を孕んでいます。
とりわけホットなのが「公共施設再編問題」。
日本全国、1970年代の高度成長期に建てられた公共施設が現在、軒並老朽化し、多くの自治体が改修するか潰すかなどの決断を迫られています。
改修はとにかく金がかかるし、潰せば潰すで、利用している住民からの反発がある。
悩みは尽きないと思います。

あとは例えば公園の問題なんかもあると思います。
誰も使っておらず、草がボーボーの公園とか、身近にありませんでしょうか?
ああした施設も悩ましい。
自治体としてはきちんと手入れをして、みんなに使ってもらいたいけど、維持補修をする金がない。だから放置される。(もちろん熱意ある住人によって自主的にきれいに維持されている公園もあったりはしますが)

▼今こそまさに公共空間の曲がり角

まぁこんな感じで、「公共施設・空間」と「金」と「担い手」を巡る問題に今の各自治体は汲々としているわけですが、まさにターニングポイントでもあると思います。
問題が全国の自治体でぶちあがっている今こそ、将来を見据えた、持続可能な公共空間づくりが必要になります。

ところがここが悩ましいところなのですが、国政にしろ地方政治にしろ、彼ら官憲に任すと大抵がとんでもないことになるわけです。

そうならないためには、住人や民間企業も含め、いろいろな目線を絡めて物事を進めていくことが欠かせないでしょう。
そして、前置きが非常に長くなってしまったのですが、本書『公共R不動産のプロジェクトスタディ』は、そうした「未来のまちづくりを皆で共有して行こう」というテーマを(おそらく)含んでおり、自治体やまちづくり関係の人だけでなく、さまざまな人が目を通す価値がある本になっています。

▼現実は大変だけども、よいまちづくりはいろんな人の熱意から

もちろん現実は難しい部分もあります。
きちんと住民の声を聞く自治体もあれば、行政主導で勝手に進める自治体も現実にはあります(後者は本当はあってはならぬことです) 。

特に、後者のような自治体と正攻法でアクションを起こそうと思った場合、彼らをハンドリングするのは並大抵のスキルでは出来ません。

というのも、彼らのほとんどが「現状維持できないと死ぬ奇病」という風土病に罹患しているので、彼らのケアをしながら物事を進めるという、Very Hardモードの苦行が待っているからです。

一応、本書でも、そういう場合は、「勝手に物事を始めちゃう」「試行でやっていく」とかさまざまなテクニックが記載されているので、アクションを起こしたい社会起業家、はたまた自治体内部の実務家にとっても学ぶべき部分があります。

いろいろ壁はありますが、結局、「何がしたいか」という熱意が大事なんでしょうね。
起点はいつもそこからだと思います。

まぁまぁ、ともあれ、この本を読んでみて、自分が住んでいる街で、自分がどんな暮らしをしていきたいか、という想像をいろんな人が膨らましてくれると嬉しいですね(作者の言みたいになってしまいました)。
面白い本でした。

読み返すと、書評というよりも雑記になっていました。。。