【「スノーデン 日本への警告」を読んで】 現代型パノプティコンへの道
- 作者: エドワード・スノーデン,青木理,井桁大介,金昌浩,ベン・ワイズナー,宮下紘,マリコ・ヒロセ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/04/14
- メディア: 新書
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読みました。
キンドル版を買ったので中身を見ずに買ったのですが、スノーデン氏が都内の大学で「講演を行った際の記録」と言うべき本です。
対話の記録なので、スノーデン氏が、氏の考えを存分に示していないという点は、注意を払う必要があると思います。まぁこの辺はパネリストが引き出せていない、というべきかもしれませんが。
印象に残ったのは、あくまでスノーデン氏は、自分の役割は「情報のリークのみ」にこだわっていたということですかね。
リークはしましたが、あとはそれをメディアへ委ね、メディアの言葉によって世界に届けることを望んでいました。
その思惑の裏には結構いろいろとありそうですが、真の意図は分かりかねます。世界の変革という大義をそのまま信ずるのは私の性分では難しいです。
さて、もう一つ印象に残ったのが、携帯電話を中心とした監視型社会の話です。
スマートフォンは、個人データの集積とも呼べるもので、端末の繋がっている先は、完全な監視下に置かれているという事実です(もちろん、年がら年じゅう見られているわけではありませんが)。
これは現代版
とも呼べるもので、見えない先を、誰かが常に見ているという監視社会が形成されています。見られているという緊張が、社会の規律を促進するという考え方もあるのですが、なんとも言えない気味の悪さはつきまといます。
まさにオーウェルの「1984」における「テレクスリーン」がいつの間にか完成していた、という感じです。
これらの機構に対して、個人が何ができる、というわけではないですが、常に危険性を認識し、リスクを勘定に入れた生き方が、現代社会では必要になると思いました。
この流れで監視をテーマにした哲学者ミシェル・フーコーに関する「フーコー入門」を読んだので、また今度書こうと思います。
走り書きですが以上です。