【書評】『科学者と戦争』池内了 ~科学者と平和とは~
読みました。
日本の軍学共同研究化が進みつつあることへの警鐘を鳴らす本です。
著者は科学の持つ力(使い方を誤れば人類をも滅ぼしかねない力)を認識しているからこそ、科学は平和利用にこそ使われなければいけない、と一貫して主張します。
時には第二次世界大戦における科学者と軍の蜜月を引き合いに出しながら、科学の平和利用の道を強く訴えます。
確かに、日本では、軍学共同研究の動きは進んでいるようです。
研究費に悩む科学者が増える中、軍部がちらつかす予算というものはなかなかに無視ができないものであるのでしょう。
言葉巧みに、そして第三者機関を挟んで間接的に軍が介入する、などのアプローチも増えてきているようです。
こうした現実には恐怖と違和感を覚えます。
ただ、著者の言う「科学の平和利用」、というのはどこか空虚に聞こえます。
確かに、平和利用ができれば良いのですが、その実現は、科学を通じてどうにかなることではないからです。さらには、いろいろな外部環境や、時勢、そして科学者本人の志向もあります。
著者自身も、その平和利用のための道筋には深く触れず、あくまで科学者たるもの倫理感・矜持を持つ(軍学共同は行わない)こと、という旨を書いています。
ですが、倫理の話でまとめると、最終的に、人間という生き物の生物学的な話になって、論が噛み合わなくなってきます。
そもそも、人類はこれまでの歴史の中で、絶えることなく戦争をしてきたわけです。
なぜか?
差異(人種・思想、etc)の問題です。
これに関しては、もう、本能に近いものです。この差異の排除という本能を、科学が超越することは不可能でしょう。実現するとしたら、科学で人をプログラミングするしかありません。
そんな反発を感じながら本を読んでいました。
確かに、戦後70年を過ぎ、今、日本はその平和主義に修正を加えようとしています。
時の経過というのは、あの悲惨な戦争から学んだ教訓すら反故にしてしまうのか、という嘆きも聞こえてきそうな気がします。
一方で外部要因が変わってきているのも事実です。
特に北朝鮮の情勢や中国の台頭など、外部の変化に対応するための修正という側面もあると思います。
あくまで、本書での著者の主張は
「科学とは平和利用のために使われるべし」であって、
「科学を平和利用するためにはどうすべきか」ではありません。
外部の変化にはあまり触れず、一貫した主張をしているので、どうにも浮世離れした印象を受けるのです。
そういう意味では、あくまで科学者らしい、関心領域を割り切った主張の本のような気がしました。