シコウノイッタン

読んだ本や、映画の話など、偏見だらけの話をつらつらと

【雑記】仕事をやる気がなくなりました。

仕事をやる気がなくなりました。

理由は何個かあるのですが、1番は人間関係。
部下とうまくいかない。


注意するとすぐに職場に来なくなったり、口を聞いてくれなくなる部下なので、有り得ないくらい優しく接しているが、それでも突然無視(というか接触を避けるため、私を居ないものとして扱い、報告も連絡も何もしなくなる)が始まる。

この現象には波があって、年間で8ヶ月くらい、これが持続する。
一方、残りの4ヶ月くらいは、くどいくらい、私の承認を伺ってくる(本来、自分で考える能力はあまりない)。

もちろん私は専門家ではないので断定的なことは言えないが、一応、私の中で、パーソナリティ障害を疑っている。
悪気がある、悪意がある、というのとは全く違って、どちらかといえば、その行為によって自分の安定を保っている感じを受けるからだ。

まぁもちろん、私の能力不足もあるだろうが、正直、いろんな本を読んだり、勉強したことを試しても上手くいかないので、この問題の解決は諦めた。

何れにせよ、それがいかに正しい指導だったとしても、何かアクションを起こすことで、瞬時に心を閉ざし、長期間休んだりして、結果的に私の首が閉まるのがオチなので、ぐっと我慢せざるを得ないのだ。

心の中というデリケートな問題は上司もなかなか理解してくれないのでとても辛い。



さて、こんなことをもう3年も繰り返してきた。
気づけば、こうした積み重ねのせいで、私は職場に行くのが正直怖くなり、仕事にもやる気が起きなくなってきた。


それにしても、SNSでも何でも、世の中にはキラキラしたもので溢れている。

やる気がない=落伍者の居場所はそこにはないし、「やる気がない」ということは、なんだか道徳に背くような落ち着きの悪さを覚えて、私は自分自身の在り方にとても悩んだ。


ただ、今となって私は思う。

大事なのは「今」やる気がない自分としっかり向き合うこと。
そこから目を逸らさないこと。
やる気がない自分を認めること、である。

自分と向き合わない撤退は、無限の頽落への入口である。
それは、少なからず私の望む姿ではない。
だが、きちんと自分を理解した戦略的撤退では、道筋を辿って元の居場所に戻ってこれるはずだ。


さて、ここで大きく話が変わる。
エリック・クラプトンが息子を亡くしたときに捧げた歌で「ティアーズ・イン・ヘヴン」という曲がある。
ところがエリック・クラプトンはある時、その歌を歌うのをやめた。
その理由は、「その当時の心境で居られなくなった」というもの。
その話を聞いて私は「人間の行為には、動機づけが必要だ」と、感じた。

愛する息子を亡くしたことと、私の下らない愚痴(もちろん白髪が増えるくらい悩んでいる)を同列に据えることに違和感はあるが、有り体にいえば、やる気がないときに無理をする必要は、時としてないのだ。

私はそう思い、しばらくは無理をせず働くことに決めた。

了。(なんじゃこりゃ)