【書評】最終巻『ペリリュー~楽園のゲルニカ~(11)』~もう半額セールだと……!?~
これまで漫画のことはあまり書いていませんが……
「ペリリュー~楽園のゲルニカ~」最終巻、読みました。
内容は後述しますが、一番の問題はkindleセールで全巻半額で売られているという事実!
こないだ出たばっかりやん。。ほぼ定額で買ったのに。
とはいえ、買うなら今ですよ。夏休みの課題図書にどうぞ。
【目次】
▼先の見えなかった物語を綺麗に〆た
さてさて、本編のほうですが、なんだかんだで良い終わり方だったとつくづく。
正直、終戦後のサバイバル編は「蛇足」とする声もありましたが(私も中だるみを感じていた)、最終的に綺麗にまとまった印象です。
というのも、終局において(正確には11巻)やっと作品をめぐる作者の意図がはっきり開示されたからです。
それは、「戦争体験は、当事者であろうとなかろうと、消えることがない」、ということでした。
言い換えれば、戦闘行為があろうがなかろうが、各人の戦争は終わらない、という普遍的テーマです。
戦争は、人の心に大きな空白を作る。そしてその空白部分は常に疼きを伴います。
だから、各人はその疼きを和らげようと、それぞれの仕方で対応し続けます。
その苦闘を描くには、戦闘行為としての大戦が終わった後の、「戦争=サバイバル編」。そして平和になった世の「戦争=拭えない記憶」を描く必要があった。ということでしょう。
なので、蛇足と思われたサバイバル編も、そこに至るフリだったわけです。
「作者はこれを描きたかったのかー!」というメッセージを最終巻にて鮮やかに提出・整理したので、それが中だるみ(失礼)との良いギャップを生み出し、冒頭の良い読後感につながったのではないでしょうか。
あとは、ネタバレになりますが……
▼吉敷が見つからなくてよかった
10巻で銃撃後、重体、というか吉敷の遺体が行方不明になりましたが、「実は島田少尉が救っていました(回収していました)!」みたいなファンタジー的オチがなくて本当に良かったですね。その点、わたくし、非常にハラハラしていました。
で、もっと良かったのは、遺体はワニに持っていかれたのではないか、という余白を残したところです。
というのも、私はこの部分に、この戦争行為という「不自然」によって荒廃させられた、自然のレジリエンスを感じたからですね。
いやまぁ、別に環境保護活動家みたいなことが言いたいのではないのですが、そこには、自然の逞しさに対する、戦争行為の小ささの対比が最後にスパイスとして良く効いていたと感じる次第です。
吉敷の遺体の謎がないと、先述の「戦争=拭えない記憶」がつながってこないので、この辺も予定されていたプロットでしょうが、いずれにせよ70年間、消えた遺体の謎を演出し続けたワニちゃんもグッジョブだったと思います。
(完全に蛇足の感想になりました)。
▼記憶の承継は我々の世代がもっと取り組むべきですが…アニメ化はちょっと心配(個人的に)
というわけで、私を含め、ペリリュー島での戦闘を知らない人々に対し、多くの関心を引き起こし、かつ各人にいろいろな想いを去来させたであろう、この「ペリリュー~楽園のゲルニカ~」。読んで非常に良かったと思うわけです。
戦後73年。私も以前、戦争体験の承継に関わったことがありますが、記憶の承継は本当に難しい問題です。
漫画化に対する賛否は最終巻の片倉兵長との邂逅でも描かれていましたし、また後書きのおまけ漫画にも記載があったように、なんらかのハレーションを生みます。
とはいえ、「じゃぁ何もしなくていい」という訳にもいかないですから、私達の世代がここで踏ん張らなくてはいけないような気がします。
そして、「記憶の承継」という言葉を当たり前のように使っていますが、記憶を話すことも、聞くこともとても勇気がいる行為です。
そういえば私も、祖父母からは戦争の話を聞かずじまいでした。祖母は川崎で空襲にあって怖かった、という話を一度だけしてくれましたが、当時20歳くらいの私は、それ以上突っ込んで聞くのは申し訳ないと思ったのを思い出します。
さて、話がそれましたが、この「ペリリュー~楽園のゲルニカ~」は、とっつきやすいのでぜひ多くの人に読んでもらいたい漫画です。
ただ、告知された「アニメ化」は可愛い絵柄とはいえ正視に耐えるか、という点が若干懸念事項です。
見ますけど。
了