【雑記】信念に悖る仕事
基本的に信念に悖る仕事は行わないようにしてきた。
だが、大人になるにつれて、立場が上がるに連れ、小賢しく立ち回らざるを得ないケースが増えてくる。
それは、「信念に悖ろうが何だろうが、実現できなければ意味がないのだから、若干の軌道修正もやむ無し。」という合理的判断なのだが。
ただし、この「合理的思考」という言葉は、妥協であり、甘えであり、脳が覚える砂糖の味であり、毒薬である。
私は少しづつ、この行動様式を「大人になることとはこういうことだ」というツールとして、私の衣服に据え付けられたポケットというポケットにそっと隠し持つやうになり、意見と意見が火花を散らすコンマ1秒前に、スッと差し出す。
それはもう鮮やかな手際でだ!
しかも残念なことに、もし20そこそこの時の私がこの姿を見ても、何ら叱咤激励してくれなさそうなことだ。
現実は劇的でない。現実は現実の延長である。
了