構造主義から見る落語
すんごい不精をしていました。
引越しをしたりいろいろバタバタしていたせいではあるのですが。
渋谷が近くなったので、いつかシブラクに行ってみたいのですが、若い女の子とかがいっぱい居そうな(偏見)感じで、おじさんはなんとなしに末廣亭に足を運んでしまうのです。
ところで、最近、構造主義について聞きかじっています。
もともと、私の思考方法は別に勉強したわけではなかったのですが、構造主義的な部分があって、いわゆる構造主義入門書を読んだところ、「これ、俺が今まで考えてきたことそのまんまじゃん!」ってな驚天動地の発見を得て嬉々としているのでございます。
まぁそもそも、同種の考え方をしている時点で、すでに構造主義的の迷宮から抜け出せない無限ループなのですが、その辺はニーチェの言う立派な「畜群」の一人として、立派に右に倣えをしていきたいと考えています。
まぁそんなことはどうでも良くて、落語というのも技芸ですから、構造を持っています。
さまざまなギミックの部分は立川談志師匠の「現代落語論」とかが、立派に論じておられるとは思いますが、構造主義的な視座から落語を語るとどうなるのか?
例えば、「間」。
これをどう読み解いていくのか?
なんだかすごく楽しそうで、これから考えていこうかと思っている最中です。
というわけで、表題はただの意思表明というか思いつきなのです。
今日も落ちません。
立川笑二さんは猛毒?
男の隠れ家で落語特集でございます。
稀有なのは(最近はそうでもないですが)二つ目にフォーカスしてる所でしょうか。
先日のダイヤモンドもそうでしたが、ここまで来ると、表題のとおり「落語の黄金時代ここに極まれり」という感が出てきます。
多くの方が望む通り、これが一過性のブームでなく文化の定着になればと思います。
別に入り口が「昭和元禄落語心中」でもかまやしないんです。
結果的に、みんなが落語を好きになってくれれば。
で、私の大好きな噺家さんの一人、立川笑二さんが、男の隠れ家で紹介されてたのですが、そのキャッチにうなってしまいました。
猛毒の子狸て。。すげえしっくりくる。
立川流の期待の二つ目です。
来週の立川談笑一門会も楽しみだなぁ!
というわけで、誰に向けるでもなく、内政的な文章を今年も書き綴っていきます。
今年もよろしくお願いします!
了
沖縄戦という事実
沖縄に行ってきた。
慰安が目的だが、行くからには平和記念館にも行かねばと思い車を走らせた。
私は思春期を広島で過ごしたので、平和教育的なものにそれなりに関心がある。
だが、資料館のあの重苦しい空気はいつでも辛い。
少し前に熊本県水俣市の水俣病資料館にも足を運んだが、それもまたしんどい経験だった。
ちなみに、こうした負の歴史を旅行で学ぶことをダークツーリズムというらしい。
チェルノブイリもヒロシマもフクシマも、言ってしまえばそうした対象になり得るらしい。
話が逸れるのだが、そもそも、「負の歴史」という言葉がどうにも私にはしっくりこない。全ての時代に起こってきた惨禍に「負」という符牒をつけることの意味だ。
惨禍は負なのか。負という言葉には、加害者、もっと言えば強者の視点が入っていると思わずに居られない。被害者にとって、あれは負と呼び得るものなのか。
その辺りを考えだすとモヤモヤしてくるので、ここで話題を戻す。
資料館で見た内容は、正視が辛いものも少なくなかった。
なんとなく避けてきた事実がそこにあった。
私はこれまで大岡昇平や吉村昭など、戦争小説、伝記、はては映画など、その時代を扱ったさまざまな話を見てきた。戦争を知ってきたつもりだった。
だが、そのどれもが「つもり」であって、まるでノンフィクションのように戦争の話に(知的好奇心から)触れてきただけのようだった。
全ての作品は作者それぞれのイデオロギーがあり、媒体という入れ子を用いた、ノンフィクションのノンフィクション、つまりメタフィクション的なノンフィクションになっている。
その間接性が私にとっての絶好の緩衝材となって、戦争という事実を、知的好奇心という無害なレベルまで蒸留してくれていたのだ。
ところが、資料館の中はとてもフラットだった。
思想も信条も関係ない。
ただただ事実として、一般に生きていた人たちが、わけもわからぬまま、戦争に巻き込まれたという恐ろしい事実だけがそこにあった。
個人に抗する術はなく、国家の都合を代行させられる兵士と民間人。
国家も社会も時として間違う。
いやたくさん間違う。
今大事にしなければいけないのは、過去の記憶を紡いでいくことと、70年間の平和という事実の存続である。
特に後者は、戦争を知らない世代である我々こそが主体として考えていかなければいけないのだろう。
たくさん見て、たくさん考える。
それが大事。
12月4日 神田連雀亭
朝から電車に飛び乗って、神田にある連雀亭に行ってきました。
立川吉笑さんのまくらにもちょいちょい出てきてて、行こう行こうと思っていたのですがなかなか行けず、ようやっと行くことができました。
二つ目の落語家専門の寄席情報サイト『連獅子』 | 二つ目の落語家専門の寄席情報サイト『連獅子』
行ったのは、午前11時30分からやっているワンコイン寄席。わずか500円!
今日は
春雨や風子さん
柳亭市楽さん
春風亭柳若さんの高座。
代書屋、壺算、新作落語、たっぷりと笑わせてもらって500円は嬉しい。
とても良い日曜日の朝の使い方になりました。
またちょいちょい行こう。
「男はつらいよ」は今見ても面白い
「男はつらいよ」
今の20代から30代、ひょっとすると40代もあまり縁のない映画かもしれない有名映画。
ネットフリックスで配信が始まっていたので見てみた。
Netflix - 大好きな映画やドラマをオンラインで楽しもう
結論から言うと、結構面白い。
いや、かなり面白い。
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ここからは語弊がある表現になるかもしれませんが、、、
とにかく寅さんがKYすぎる。
妹のお見合いを下ネタの嵐で崩壊させしめ、至る所で問題行動を起こす。
これが、当時で言う「不器用な人間」だったのだろう。
悲しきかな、現代社会では「発達障害」と言われかねないKYっぷりだ。
ただ、寅さんは人の気持ちが分からないわけではない。
優しくて、でも不器用で、当時の社会でも生きづらい存在だっただけ。
それを今風の解釈をするとKYだとか、発達障害とかの言葉が浮かんでしまう自分が悲しい。(そういう意味でこの文章は自戒も含んでいる)
現代の社会は、寅さんのような人間をおおらかに包む「それ」ではもうないだろう。
だが、映画のなかには紛れもなく「それ」があって、ゆるやかでいて緊密な人のつながりがある。描かれている。
今の社会に必要とされている人のつながり。
ペーソスを感じずにはいられない、クラシックだけど今にも通ずる映画でした。