シコウノイッタン

読んだ本や、映画の話など、偏見だらけの話をつらつらと

【「ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか?」を読んで】感想

 

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム

 

 なかなか面白い本で、ドイツのエアランゲン市というまちが、いかに素晴らしいかを紹介する本です。

同社の「ポートランドー世界で1番住みたい街をつくる」と、まぁ似てるような気がします。というか、街の性質そのものに近いところがあるような気がします。

 

要は、住んでる人が、その街を好きなんですね、エアランゲンにしてもポートランドにしても(ほんとはもっといろいろ要素がありますが)。

ちなみに、私はポートランドには行き、現地を見てきて、その空気感をなんとなく味わってきました。

 

一方で、日本人は、住んでるとことかに本当に興味がないような印象を受けます。

生まれ育った街には愛着を持ってるのかもしれませんが、基本、「想い」の範疇を出ませんね。愛着を持つだけで、特には何もしない、まさに観念で終わってしまうのが日本人スタンダード。

(想いが歪な形に顕在化したふるさと納税というシステムは、逆に日本人の物質主義、というか節操のなさを良く表していると思います。)

日本人のこの辺の現金さみたいなものは、一体どこで道を誤ったのだろうと考えたくもなりますが、嘆いても仕方ない。

前を向いた話をすると、まちに住んで良かった、というお得感を適切に還元していく必要があると考えます。お得感は、もちろんモノやお金ではなく、心の満足感。

 

んでもって、満足感がどう得られるかは、実際にみんなに対して問を立ててみないと分かんないわけですね。

ポートランドマンセー、エアランゲンマンセー。じゃ真似しよう! では、いいとこは行くかもしれませんが何処かで瓦解する気がします。

 

というわけで、本著の内容は、まちづくりの参考とさせていただきます、という解釈に留めておきたいと思います。

 

ここまで読んだ方には恐縮ですが、私の話には根拠が全くありません。

【「資本主義の終焉と歴史の危機」を読んで】中国は広い海が欲しい

 

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

 

 ちょっと前に読みました。

私は以前金融商品に親しい世界にいたが、なんとなく金融工学によって作られる金融商品に常々胡散臭さを感じていた。

本の内容はその胡散臭さを喝破するものなので、アベノミクスだのトランポノミクスだの、なんだかその手の類に疑問を感じる方は読んでいいと思う。

 

私が金融工学に胡散臭さを感じていたのは、金融工学から派生する金融商品に実物がないからだ。

連動債だのインデックスだの、素人目に見て「ちょっと無理やりじゃね」という商品が当たり前のように取り引きされ、お金を生み出していた。

 

本の趣旨も概ねそんな具合である。

「これまで平面空間に拡大してきた資本主義が、行き詰まりをみせたため、金融工学を以って立体(3次元)に進出した。(つまり立体とはざっくりいうとデリバティブなどのことである。)

で、その3次元も行き詰まりを見せつつあるので、世界はこれからどう向かっていくのか?」という内容である。

 

4次元なんてありえない。なんて言い切れないのがこの世界の恐ろしいとこだが、この感じで行くと、なかなかどうして4次元方向への進出は難しそうである。

すると、3次元を無理やり拡張するのか、維持するのか、縮小するのか。そこには世界の政治の力を含めて舵取りをする必要がある。

その方向性を決める場には、世界の富豪、およそ数%の人間しか関わっていないのは歴然たる事実。

残り人類は舵取りの結果と、それに付随して起こる事象を眼前に突きつけられるのみである。

恐ろしや。

 

落語の話はまた今度。

今週は立川談笑一門会。半年ぶりに行きます!

それでは。

 

一公務員ひとりごち

まちづくり(何を持ってまちづくりと言うかはとかく)の仕事をしていると、なかなか課題が多くて嫌になることが多い。

正直、あまり合理的に出来ていない組織だし、ミッションも幅広いので、どうも迷走してる感は出てくる。
万人のための仕事は玉虫色になってしまい、往々にして万人のためにならない、というパラドクスが蔓延している。

まぁともあれ人口減少社会である。

どこの自治体も人口減少対策に本腰を入れ始めている。
構造主義を最近読みかじっているので、そんなアプローチから人口減少を見ると、モースの贈与論のように、交換が成立していないから、人口が減ってしまうように思う。

贈っては、贈られる、というサイクルを連綿と繋げていくこと。これがまちづくりの1つの指針になる(気がする)。

価値の提供と、それを送り返すシステムの構築。(システムというよりも信頼関係のような気がするが)

無辜の尽きることない愛情を街に注ぐ人など、そうたくさんはいない。

もっと街を、システマチックに俯瞰しながら、暖かいまちづくりをしていきたい、と末端に立つものとして思う、今日この頃。

まぁ現実は、チョムスキーのメディア、政治批判の通りではあるけど。

Kindleペーパーホワイトのカバーを作ろう

最近の読書はもっぱらKindleに移行しつつあります。
物を増やすなという命により、電子書籍を買っている次第ではありますが。

で、持ち運びの際、液晶を保護するため手帳型カバーをつけているのですが、これがマグネットが入ってたりして重い。
でかくなるし、片手では読みづらくなる。
Kindleの軽量さが台無しです。

ところが良さげなスリーブを探してもあんまり売ってないのです。

なので、作ることにしました。
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最初はスリーブにしようと思っていたのですが、手縫いはだるいし、何か面白さに欠けるので、一枚革で「包む」というデザインにしました。
ハトメだけで済むし。。。

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そして、電子書籍をブックカバー(のようなもの)で包むという皮肉が効いていて、一人ほくそ笑んでいるところです。

Kindleは背面がラバーコーティングなので、包むだけでも案外滑りません。
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しかもどっちからでも入れられて、何かお洒落。

実用新案登録を申請中です(嘘)

それではさようなら。

都民寄席雑記(3月8日西国分寺いずみホール)

f:id:rakugoafro00:20170310124252j:plain都民寄席に行ってきました。
毎年この時期は無料で落語が聞けるので、わくわくしてます。

噺家さんも、無料をネタによく観客をいじります。とはいえ、税金納めてるし、落語の間口を拡げるには良い機会だと考えてます。

最近は寄席も若い人が増えたなんて聞きます(まぁ私も30前半なんで若いと言えなくもないのですが)。
確かに末広亭なんかに足を運ぶと、うら若き乙女が散見されますね。まぁぶっちゃけまだまだジジババばかりですけど(笑)

で、都民寄席はもっと高齢化率が高い。日本の縮図を見るようです。
行政の事業の哀しきかな。アッピールが下手で、若者が知らないんでしょうね。これから東京都文化局の頑張りに期待です。

都民寄席の方はっていうと、
三遊亭笑遊師匠による「片棒」
春風亭一朝師匠の「妾馬」
あと色物さんでした。

多分、お客さんは色物さんが珍しかったみたいで、1番湧いてましたね。

肝心の落語は、最高でした。
片棒は、笑遊師匠のダイナミズムと張りのある声で圧倒されました。
妾馬は立て板に水っていうキレのある内容。
妾馬は笑いの場面が多いですが、八五郎が妹や母を思う場面など、人間の感情の様々が詰まった演目ですね。それだけに難しい内容だなぁとシミジミ感じました。

途中の「殿公」でサゲることが多い大ネタですが、一度フルで聞いてみたい。

以上のように雑記です。

構造主義から見る落語

すんごい不精をしていました。
引越しをしたりいろいろバタバタしていたせいではあるのですが。

渋谷が近くなったので、いつかシブラクに行ってみたいのですが、若い女の子とかがいっぱい居そうな(偏見)感じで、おじさんはなんとなしに末廣亭に足を運んでしまうのです。

ところで、最近、構造主義について聞きかじっています。

もともと、私の思考方法は別に勉強したわけではなかったのですが、構造主義的な部分があって、いわゆる構造主義入門書を読んだところ、「これ、俺が今まで考えてきたことそのまんまじゃん!」ってな驚天動地の発見を得て嬉々としているのでございます。

まぁそもそも、同種の考え方をしている時点で、すでに構造主義的の迷宮から抜け出せない無限ループなのですが、その辺はニーチェの言う立派な「畜群」の一人として、立派に右に倣えをしていきたいと考えています。

まぁそんなことはどうでも良くて、落語というのも技芸ですから、構造を持っています。
さまざまなギミックの部分は立川談志師匠の「現代落語論」とかが、立派に論じておられるとは思いますが、構造主義的な視座から落語を語るとどうなるのか?

例えば、「間」。
これをどう読み解いていくのか?

なんだかすごく楽しそうで、これから考えていこうかと思っている最中です。

というわけで、表題はただの意思表明というか思いつきなのです。
今日も落ちません。

立川笑二さんは猛毒?

男の隠れ家で落語特集でございます。
稀有なのは(最近はそうでもないですが)二つ目にフォーカスしてる所でしょうか。

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先日のダイヤモンドもそうでしたが、ここまで来ると、表題のとおり「落語の黄金時代ここに極まれり」という感が出てきます。
多くの方が望む通り、これが一過性のブームでなく文化の定着になればと思います。
別に入り口が「昭和元禄落語心中」でもかまやしないんです。
結果的に、みんなが落語を好きになってくれれば。

で、私の大好きな噺家さんの一人、立川笑二さんが、男の隠れ家で紹介されてたのですが、そのキャッチにうなってしまいました。

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猛毒の子狸て。。すげえしっくりくる。
立川流の期待の二つ目です。

来週の立川談笑一門会も楽しみだなぁ!

というわけで、誰に向けるでもなく、内政的な文章を今年も書き綴っていきます。
今年もよろしくお願いします!