シコウノイッタン

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「楽しむための万人性のパラドクス」

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「楽しむための万人性のパラドクス」と私が勝手に名づけている事象があります。

「楽しむ」、という領域のプロダクトにおいて、「万人」のために何かを作ることは、かえって「万人のためにならない」という事象です。

公園を例に挙げます。
小規模な公園を作るときに、ダメな役所は絶対にこう考えます。
「お年寄りや皆が座れるベンチは必要だな。それと子どもが遊べる滑り台と鉄棒も入れよう。あと幼児でも使える乗り物も設置しよう」

こうした思考停止で作られるのが、万人による、万人のための公園。巷に溢れる「ザ・ダメ公園」です。
結果的にスペース効率が悪くなったり、用途が中途半端で、逆に使いづらくなります。
だったら自由に使える原っぱの方が案外楽しかったりします。
(そして、最近それを輪にかけてダメなのが、万人のため思想を突き詰めた結果、ボール遊び禁止、野球禁止、などなど、なんでも禁止にしてしまう公園ですね)

「楽しむ」という領域は人ぞれぞれの感じ方があるので、こうした全方位を固める思想は、そもそもの「楽しむ」という行為の逆説的な否定でもあります。
(そうした否定を包含して、楽しませることができれば、それはイノベーションと呼べるのかもしれませんが。)
つまりは、特定のチャンネルに向けて周波数を送らないと、「楽しむ」は成立しないということです。

これが「楽しむための万人性のパラドクス」。

一方で、万人のために作られて、うまく行くものもあります。
ユニバーサルデザイン」ですね。
これは「利用」という領域のプロダクトなので、「楽しむ」のような主観がほとんど介在しませんのでうまく機能します。

で、冒頭のニュースを見ると、特定のチャンネルに向けることでその歌が存ずるわけで、異論が出るのはもちろん当たり前なのですが。。。
ボコボコに叩くのは、その実、自らを均質化し、誰も傷つかないけど、誰も感動しないものを所望しているような印象を受けます。
わざわざ非難することもないのに、と思うのですが、、、
このことを妻と話したら、激論になりました。

男と女でもまた、感じ方が違うようです。
うーん。
なんだか途中で自信がなくなってきたので止めます。