シコウノイッタン

読んだ本や、映画の話など、偏見だらけの話をつらつらと

【雑記】「肌色」を「うすだいだい色」と呼ぶ時代

肌色はどこへ行った?

聞いた話なのですが、今、教育の現場では、「肌色」の色鉛筆がないそうです。
では「肌色」はどこに行ったのか?というと、「うすだいだい色」という名に姿を変えたとか。
もちろん、これはご明察のとおり、人種配慮の観点からの変更です。

これを聞いたときに、昭和生まれの人間としては「なんだかなぁ」と思ったものです。
肌の色は、日本人が「肌色」で思い出す「あの色」とは限らない、という配慮なんでしょう。

時代の要請もあるのでやむを得ないのもわかりますが、それにしても以下の2点ほどに違和感が残り、一人モヤモヤします。

 

①そもそも、「うすだいだい色」というネーミングセンスはどうなのか?
確かに「あの肌色」はそんな感じの色とも呼べなくないのですが、いささか安直すぎるような気がします。
「うぐいす色」とか、「やまぶき色」とか、日本には雅な名前の中間色もあるわけです。その辺りをすべてすっ飛ばして、「うすだいだい色」というのは、なんだかサボりを極めた感じを受けるのは気の所為でしょうか。
よく知りませんが、そういうところから子どもの情緒が育つような気がします。
あんず色とか、玉ねぎ色とか、なんか遊びのある名前にしてほしいと思うのは私だけでしょうか。

 

②「うすだいだい色というネーミングにただよう、とりあえず臭いものに蓋しとけ感」
とりあえず「うすだいだい色」というネーミングをつけとけば、ゴチャゴチャ言われなくてOK的な弛緩した空気もここには感じます。
でも大事かつきちんと教えるべきことは、「肌の色は人種によって様々だけれども、それによって差別が起きていいものではない」ということです。
これは本質であり、ここへの配慮があるから「肌色」を消し去っているのに、「うすだいだい色」といネーミングで結果的に本質を隠してしまう、という大きな矛盾をおこしています。
いってしまえば、この逃げの姿勢は、本来の人種的配慮の意思に対する妨げにもつながりかねないと感じるのですが、どうなんでしょうか。


話が飛躍するのですが、ついでに書きます。
競わない運動会というのも、最近は結構当たり前のようになっています。
でも、子どもの頃から競争を取り上げられてきた子どもたちは、これからの荒波が訪れるであろう社会を本当に乗り切れるのか心配にもなります。
勝った負けたが生じるのは当然です。そこには得手不得手や、さらにはハンディキャップもあり、絶対にイーブンにならないのが世の常です。

だから、その現実を受け入れ、勝ち負けを通して、何かを感じさせる、次の一手を教えることが教育に必要なことのような気がします。その辺の丁寧なプロセスをすっ飛ばすと、これから大変なことになる気が、しました。

とはいえ、現場では「個別に教えるそんなめんどくさいことやってられるか」という現実もあるのは重々承知しています。
ただの理想論ですが、少なからず、家庭ではそういう風な教えをしなくてはいけないなぁと感じる今日このごろです。


ここまで書いて、以前にちらっと書いた保毛尾田保毛男の観点から見ると、私にも大いなる矛盾が感じられます。人種差別の比喩ともとれる「色鉛筆」はOKで、性差別の比喩である「保毛尾田保毛男」はNG。
2つの記事から考えるとそういうことになり、最後の最後で「ううむ」とうなっている次第です。

今日は以上です。

【了】

雑記【話題の吉祥寺「ココマルシアター」へ】

以前にも少し書いたのですが、吉祥寺にできた話題の映画館、「ココロヲ・動かす・映画館 ◯(通称:ココマルシアター)」が完成したとのことで、行ってきました。
いろいろネットで言われているけど、実際どんな所なんだろう、的に書いたつもりなのですが、とっちらかって読みづらくなってしまいました。すいません。
(なお、長文です。)

映画館の詳しい経緯は下記が詳しいのでご参照ください。

togetter.com

要はクラウドファンディングで金を集めているのに、全然約束が守られない、総支配人の杜撰なやり口に、一部の映画ファン(通称:ココマルウォッチメン)や出資者から非難が集中し、プチ炎上案件となっている映画館です。

■私のはなし(諸前提)

ちなみに、私は出資はしていません。ただ以前吉祥寺にあった「バウスシアター」には月2回くらい通っていた、「割と映画が好き」な人間でした(過去形なのはバウスがなくなって以降、映画を見なくなったから)。
で、同館が「バウスの意思を継ぐ」的な発言をされていたので、期待と関心を持って見守っていました。私はあくまで「にわか映画ファン」ですが、金太郎飴みたいな「どこにでもある街」になりつつある吉祥寺において、「ミニシアター」という文化発信拠点には、どうしても期待せずにはいられませんでした。
そうした期待もあって、危うっかしい対応を見せる同館に対し、外野ながらヤキモキしてしまい、時にTwitter上で偉そうに述べたり、言ってしまえば煽ってしまうこともありました。
その点は反省もしています。

とはいえ、一方的にものを言うのはフェアではないですし、完成を楽しみにしていたというのは事実なので(まぁどこかで完成しないで欲しかったというのも本音)、とある日に足を運ぶことにしました。
映画ファンではない、一般ユーザーとしてなるべくフラットに記述をしたいと思います。

■感じたこと

①心理障壁となっている外観周辺

まずは、入りにくいと思いました。
厨房部分のシャッターが閉まっているせいもあるでしょう。
あとはファサード周辺から読み取れる情報がとっちらかっています。
カフェなのか、バーガー屋なのか、はたまた何屋なのか一見して分からないのは、入りにくさを助長するので致命的です。
映画館は「映画」を見るためにあるのであって、「激旨バーガー」はあくまでツールのひとつです。そんなにプッシュする必要はないと思います(カフェのコンセプトを押し出したいというのもあるのでしょうが、ぼやけたコンセプトは結果的に顧客を遠ざけます)。

なので、これからは外観周辺のテコ入れが必要になりそうです。
デジタルサイネージを導入して、今上映中の映画の予告編や、上映スケジュールを分かりやすく通行者に訴求した方が集客に繋がると思いました。
さぁ、勇気を出して入りましょう。

②見えないシステムと料金体系と館の全貌

勇気が要るのは、ココマルシアターのホームページから情報が読み取れないことにも一つの原因があります。

www.cocomaru.net


映画館のホームページには公開情報はもちろんのこと、館内の様子写真や鑑賞料金、メニュー諸々が掲載されていると思うのですが、ココマルシアターに関してはその限りではありません。
トップページの外観もパース画像ですし、館の様子写真もありません。
正直言うと、お洒落なコンセプトの割りにホームページがひどくチープな印象を受けました。
ホームページは、仮想空間上の玄関です。玄関が汚いと、特に遠方から来ようとするユーザーは一層の勇気が要ります。

あとは、ホームページのほかにも、主要SNSなど、いろいろなメディアで情報発信をされているのですが、情報が散発し、結果的に錯綜して読みとりにくくなっています。

基本的には、ホームページとSNSは主従の関係ですので、一元的にホームページで情報を管理し、そこからSNSに派生させるやり方のほうが良いと思います。
情報は直接確かめましょう。

 

③オペレーションはまだまだ改善段階

私はかつて接客をしていたので、どうしても接客に関しては小姑みたいになってしまうのですが、スタッフは明るくて素敵な感じです。ここは良かったです。

ただ、全体的にオペレーションがギクシャクしていて、錬度の低さは否めません。
気持ちの上では肝要に見守ってあげたいのですが、ビジネスやCS(顧客満足)として考えると、言い訳が立たない点です。

余談ですが、メニュー表を見ながらビール(380円)を頼んだのですが、「エビスとアサヒ(確か)がいいか?」と問われて「エビス」と答えたら「エビスは450円です」と言われて戸惑いました。「裏メニューかよ」と突っ込んでしまいそうでしたが、こういう無駄なやりとりも時間のロスになります。
何しろ、窓口が一つしかないんですから。
こうしたことからもオペレーションの強化の必要性を感じました。
 さぁ、映画をみよう。

 

 ④映画鑑賞に際して感じたこと

映像や音響については素人なので特に述べません。
ちなみに私は1階で『マイビューティフルガーデン』を鑑賞したのですが、面白かったですよ。
あとは気になった点をいくつかを殴り書きします。

(1)噂にもあったのですが、ちょっと空調が寒いかなぁという印象
⇒ちょっと寒かったです。
(2)天井が低くてちょっと圧迫感
⇒これは私のミニシアター体験が乏しいための主観かもしれません。
(3)非常に申し訳ないのですが、なんだかとっちらかった印象
⇒なんかよく分からないのですが、雑然としている印象を受けるんです。例えば後述の椅子の並びとか、暗幕のカーテンレールがひん曲がってるとか、スピーカーの配置とか飛び出したカーテンとか。いずれにせよ主観です。

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シアターの一部内観

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シアターの360度画像(ダウンロードしてGoogleフォトにアップロードすると360度ビューで見られます、多分)

(4)一番気になったのは椅子

赤い座席は素敵だったのですが、最前列に陣取った紺色のリラックスチェア。
これは結構背が高いので、後ろの席の人が見づらそうな気がします。
しかも、見た目にチグハグ感が出て、お世辞にも良いとは思いません。

そして、何より不味いなぁと思ったのが、この紺色の椅子、私の家にあるIKEAの椅子の色違いのような気がします。

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IKEA謹製の椅子

こういう詰めの甘い部分は顧客として残念です。
(人にもよるとは思いますが)映画館で見る映画体験というのは、「ハレとケ」でいえば「非日常」である「ハレ」にあたります。
そこには館自身にも「ワクワク感」が必要とされるのですが、家に同じ椅子があるとなんだか興冷めしてしまいます。
 家帰ったら同じ椅子が待っていた。

 

■まとめ~ 一回色んな棚卸しをしてやり直せる、かなぁ?~

もうなんだか疲れてテンションが下がってきたので、そろそろ終わろうと思います。

とっ散らかった外観やコンセプト諸々を軌道修正すれば、立地もいいですし、素人的にはポテンシャルは結構あると思います。
情報の透明性の確保と、良い広報戦略を作れれば、愛される映画館にもなるやもしれません。

いろいろネットで言われて(私も含む)大変だと思いますが、そういう人の言葉は結構、愛情が詰まっていたりするので、真摯に向き合って、地域に根ざす映画館になればと思います。

ただ、このままマイペースで突き進むのであれば、経営状態は不安に感じます。


忖度に忖度を重ねたので疲れました。以上です。

【了】

【「スノーデン 日本への警告」を読んで】 現代型パノプティコンへの道

 

スノーデン 日本への警告 (集英社新書)

スノーデン 日本への警告 (集英社新書)

 

 読みました。

キンドル版を買ったので中身を見ずに買ったのですが、スノーデン氏が都内の大学で「講演を行った際の記録」と言うべき本です。
対話の記録なので、スノーデン氏が、氏の考えを存分に示していないという点は、注意を払う必要があると思います。まぁこの辺はパネリストが引き出せていない、というべきかもしれませんが。

印象に残ったのは、あくまでスノーデン氏は、自分の役割は「情報のリークのみ」にこだわっていたということですかね。
リークはしましたが、あとはそれをメディアへ委ね、メディアの言葉によって世界に届けることを望んでいました。
その思惑の裏には結構いろいろとありそうですが、真の意図は分かりかねます。世界の変革という大義をそのまま信ずるのは私の性分では難しいです。

さて、もう一つ印象に残ったのが、携帯電話を中心とした監視型社会の話です。
スマートフォンは、個人データの集積とも呼べるもので、端末の繋がっている先は、完全な監視下に置かれているという事実です(もちろん、年がら年じゅう見られているわけではありませんが)。

これは現代版

パノプティコン - Wikipedia

とも呼べるもので、見えない先を、誰かが常に見ているという監視社会が形成されています。見られているという緊張が、社会の規律を促進するという考え方もあるのですが、なんとも言えない気味の悪さはつきまといます。
まさにオーウェルの「1984」における「テレクスリーン」がいつの間にか完成していた、という感じです。

f:id:rakugoafro00:20171030135012j:plainパノプティコンの図(Wikipediaより)

これらの機構に対して、個人が何ができる、というわけではないですが、常に危険性を認識し、リスクを勘定に入れた生き方が、現代社会では必要になると思いました。

この流れで監視をテーマにした哲学者ミシェル・フーコーに関する「フーコー入門」を読んだので、また今度書こうと思います。

 

走り書きですが以上です。

 

【「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること 」を読んで】自治体の新しい教科書

 

 読みました。
実に丁寧に、これから日本社会に起こりうることが記述されています。
この本は、自治体にとって教科書とされるべき本だと思います。

「著者の考えを信奉しろ」、とかそういうことではありません。
確度の高い未来予測として、逐次、この未来年表と、自治体の動きを見合わせ、
「この本の内容の通り」にならないよう、ひとつの指針・教科書とすべきものだと思いました。

日本の未来というのは、このままで行くと、かなり暗いものになるでしょう。
今の政治家の様子を見ていると、露骨に負担を後の世代に残そうとしていますので、特にこれから生まれてくる世代などにとっては「生まれることがリスク」という強い言葉も、完全に否定はできないかもしれません。

もちろん、そうならないように、(私を含め)地方自治体に関わるものとしては、良い社会づくりにコミットしていきたいとは思っています。
ですが、経済が縮小している以上、行政サービスの縮小は必ず起こります。

そうした中で、「行政に頼らない生き方」「行政に影響を与える生き方」など、(やり様はさまざまですが)一人ひとりが「社会的な個人」としての役割を強く担うことが必然的に必要になってくると思います。

もともとこうした考えを持っていたのですが、この本を読んで改めて現状と未来を再認識することができました。非常に意義深い本でした。

ちなみに、
この手の本によくある、政策提言みたいな後半部分は、微妙な気がしました。
良い部分と悪い部分があるな、という感じです。

以下は、アマゾンの商品紹介からの引用です。これを読むだけで、いかに日本社会がやばいか分かるかと思います。
本は売ってしまいますが、悩んだらここに戻ってこようと思います。

評者:長薗安浩

(週刊朝日 掲載)
内容紹介
日本が人口減少社会にあることは「常識」。だが、その実態を正確に知る人はどのくらいいるだろうか?
人口減少に関する日々の変化というのは、極めてわずか。ゆえに人々を無関心にする。だが、それこそがこの問題の真の危機、「静かなる有事」である。

書店には、人口減少・少子高齢社会の課題を論じた書物が数多く並ぶ。しかし、テーマを絞って論じるにとどまり、恐るべき日本の未来図を時系列に沿って、かつ体系的に解き明かす書物はこれまでなかった。それを明確にしておかなければ、講ずべき適切な対策とは何なのかを判断できず、日本の行く末を変えることは叶わないはずなのに、である。

本書が、その画期的な役目を担おう。
第1部は「人口減少カレンダー」とし、年代順に何が起こるのかを時系列に沿って、かつ体系的に示した。未来の現実をデータで示した「基礎編」である。第2部では、第1部で取り上げた問題への対策を「10の処方箋」として提示した。こちらは、全国の公務員・政策決定者にも向けた「応用編」と言える。

これからの日本社会・日本経済を真摯に考えるうえでの必読書!

【目次】

はじめに
第1部 人口減少カレンダー
序 2016年、出生数は100万人を切った
2017年  「おばあちゃん大国」に変化
2018年  国立大学が倒産の危機へ
2019年  IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ
2020年  女性の2人に1人が50歳以上に
2021年  介護離職が大量発生する
2022年  「ひとり暮らし社会」が本格化する
2023年  企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる
2024年  3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」へ
2025年  ついに東京都も人口減少へ
2026年  認知症患者が700万人規模に
2027年  輸血用血液が不足する
2030年  百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える
2033年  全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる
2035年  「未婚大国」が誕生する
2039年  深刻な火葬場不足に陥る
2040年  自治体の半数が消滅の危機に
2042年  高齢者人口が約4000万人とピークに
2045年  東京都民の3人に1人が高齢者に
2050年  世界的な食料争奪戦に巻き込まれる
2065年~ 外国人が無人の国土を占拠する
第2部 日本を救う10の処方箋 ――次世代のために、いま取り組むこと
序 小さくとも輝く国になるための第5の選択肢
1・「高齢者」を削減
2・24時間社会からの脱却
3・非居住エリアを明確化
4・都道府県を飛び地合併
5・国際分業の徹底
6・「匠の技」を活用
7・国費学生制度で人材育成
8・中高年の地方移住推進
9・セカンド市民制度を創設
10・第3子以降に1000万円給付
おわりに 未来を担う君たちへ
結びにかえて

 

 

保毛尾田保毛男について、私がゲイの方から聞いた言葉

news.yahoo.co.jp

なんだか、この論争が終わらずヤキモキします。

実は先日、LGBT当事者によるシンポジウムを聴講してきました。
その場では、シンポジストでもあるゲイの方が、保毛尾田保毛男について語っていました。
そこで語られていた言葉こそが、メディアのフィルターを介さないゲイの人のまっすぐな意見であり、本音でした。
その方の言葉をここに記すことで、少しでも当事者の声が広がればと考えています(メモと頭の中にある内容なので、若干正確性に欠ける表記があることをご承知おきください)。

(ゲイの方の意見1)
保毛尾田保毛男が流れることで、カミングアウトできず傷付いている子供の傷を助長する

「テレビでああした風貌が流れることで、傷つく子供がいるはずである。割合だけで話すと、LGBTの方はクラスに1~2人はいる計算です。カミングアウトできずに悩んでいる、または性別に違和感を感じる子供がいるなかで、あの番組が放映されることはそうした子供の傷を悪化させることである。それは当時も同じことだった」とのことです。

(ゲイの方の意見2)
保毛尾田保毛男を笑いの対象とすることで、ゲイを「笑っていい」という免罪符を与えてしまうことの恐ろしさ

「公共の電波に乗ることで、(特に子供を中心に)ゲイは笑っていい対象、笑いの対象としていいんだ、という風潮、空気の生まれる怖さがある」とのこと。

 

▼まとめ~当事者の話は直接聞いて、自分で考えよう~


本当はもう少し話は細々とありましたが、総括するとネガティブな反応です。当たり前だと思います。
一部のメディアでは、当事者も「当時を思い出してゲラゲラ笑った」「気にしない」という記事がありましたが、そうした意見とは程遠い意見を、直接聞くことが出来ました。

いろいろな主張があり、当事者不在で代理戦争のような様相すらあるこの論争ですが、ぜひ直接当事者の人に話を聞いて、自分の中で意見を醸成してもらいたいと思います。

共生社会の大前提は、「お互いの存在に対する理解を深化させる」こと。この一点に尽きると思います。
他者を理解しようとすることを止めた時点で、共生の歩みは止まることになります。そうした意味で当事者の話を聞けた今回は大変有意義な経験となりました。
最後、少し偉そうに意見を述べましたが以上です。

【「失敗の本質」を読んで】組織は全然成長しないよ。インパール作戦だよ。

 杜撰なインパール作戦とは

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 

 今はこの本を読んでいます。
第二次世界大戦時の敗戦の理由を、日本軍の組織面から考察し、その普遍的要素を現代社会の組織にも当てはめ、問題の表出を図ろうとする本です。

と言っても、私がわざわざ説明するまでもないほど有名な本なので、細かい本書への評価は避けます。(しかもまだ読んでる途中だし)。

本書の中で紹介される数ある失敗の中で、やはり衝撃的なのは「インパール作戦」でしょう。実は読むまで詳しく知らなかったのですが、あまりにも無謀な作戦でした。

インパール作戦 - Wikipedia

インパール作戦」では、戦略的合理性よりも、情緒が重んじられ、都合の悪いことは起こらないとする正常化バイアスで、欠陥だらけの作戦を全肯定しました。
敗退は当然の結果で、多くの兵士を死に至らしめました。(最終的に指揮を執った牟田口中将は、解任されるも、そのままのんびり生を全うできるというのがなんとも……)。

現代でも幅を利かすパワープレイ

こうした情緒先行の作戦発案、陣頭指揮、「どっかで見たことあるなぁ」と思ったら、職場にありました。
ええ、今でも元気に生き残っています。

インパール作戦における、牟田口中将のやり口というのは、執拗な精神論によるパワープレイでした。
もう、「周囲が止めても無駄だ」と諦めのムードを作ることに彼は執心しました。
考えると、これは打算そのものなんですね。
方法論として、彼はこの道筋を体得していたんでしょう。
そうこうして、当初反対だらけだったこの作戦を実施しました。

さて、話を現代に向けると、日ごろの業務においても、「止めても無駄だ」と思わせる状況に、私は嫌というほど遭遇します。
個人的に、一度パワープレイに味を占めた指揮官は、それに味をしめるようになる気がします。
でも、これをやると、忠臣が駄目になり、佞臣が幅を利かすようになるんですよね。

三国時代末期の蜀のアレです。
黄皓のせいで劉禅はブクブク太って、蜀が滅んじゃうアレです

パワープレイというのは、「抵抗」があるから「パワー」がいるわけです。
水の流れに沿うような自然体の決断には、結果的に摩擦が生じないので、いかに独断的な決断であっても「パワープレイ」になり得ません。
流水に沿うような決断は、非の少ない合理的決断だと考えていいと思います。

パワーが必要なところには議論を

一方で「パワー」が必要な所には、議論の芽が育っています。
その芽を、どういう風に調理するのかが指揮官の腕の見せ所です。

個人的には、徹底的な議論のうえ、コンティンジェンシープランを含めた「合意」を生み出すべきだと考えています。
もちろん、議論していくのはめんどくさいし、時間も掛かるのだけど、これをサボりだす組織は、かなり内部崩壊が進んでいるような気がします。


皆さんの組織はどんなでしょうか?
私はいろいろ議論がしたいタイプなのですが、いつも職場でウザがられます。(今日も一般論ばかりですみませn)

【本の自炊は自炊という「行為」にこそ価値がある】自炊代行業者を使ったり、自分で自炊をしてみた話

突然ですが、家が狭いもんで、書籍の自炊に取り組むことにしました。ふっと決めたんです。

①自炊代行業者でとりあえず漫画を自炊

まずは、漫画100冊を、自炊代行業者でPDF化しました。
「漫画スキャン王」という業者です。

mangascanoh.com

結論からいうと、何の問題もありませんでした。
1冊80円くらいで、100冊なので送料込みで1万円、2ヶ月くらいかかりましたが、綺麗なPDFに姿を変えてわが子たちが戻ってきました。

自炊した漫画は、そんなに読まない漫画たちです。
ちなみに、自炊した後は、一回も読んでいません。

②スキャナを買って家で自炊

次にスキャナを買って家でやることにしました。
自炊の定番といえば「ScanSnap iX500」ですね。まずは「Amazon」でポチリ。 

富士通 ScanSnap iX500 (A4/両面)

富士通 ScanSnap iX500 (A4/両面)

 

 って、思ったのですが、4万円もするんですよ。これ。

でさらに裁断機(8000円)を含めると、イニシャルコストはなかなかのもんですね。

カール事務器 裁断機 ペーパーカッター A3対応 40枚裁断 DC-230N
 

 これから自炊をやっていこうという人は、この時点で少し冷静になるべきなのかもしれません。
そもそも、自炊というのは結構めんどくさい行為なので、途中で頓挫するかもしれないし、そもそも、ある程度自炊が完了すると用済みになるかもしれない道具なので、自分の使い方をよく想像した方がいいと思います。

私は、家に300冊の漫画と100冊程度の書籍がありますが、大切な本は、紙で残したいので、そんなに使わないと判断しました。
なので、こいつを中古で買いました。4500円。やっす。 

 「Amazon」とか「価格.com」とか見てると、辛らつなレビューが購入を躊躇させることがしばしばですが、そもそもレビューとかマメに書いている人は、重箱の隅をつつくのが好きな、性格のネチネチした、イヤな人たちばっかりなんですよ(偏見)。

いい加減な人は、いい加減な製品でも、いい加減に付き合っていけるんですよ。
それが偉い人には分からんのです。

『映像の発色が…旧モデルに比べると…チップのスペックが…』
うるさい、黙れ。お前ら一生、Apple Storeの前でキャンプしてろ。

という訳で、4500円のスキャナ最高です!
全然使えます。

スキャンの画質?

そんなもん、どうでもいいんですよ。
どうせ、ろくに見ないものをスキャンしてるだけだし。

という訳で、自炊代行業者にお願いしたものと同じく、自炊した後は、一回も読んでいません。



【結論】自炊は、物が減ることの爽快感に本質がある

電子書籍は存在を知覚できないので、ついつい、その存在を忘れてしまいがちです。
そういえば、kindleでこんな漫画買ってたな、、、なんてことしばしばです。

そこから逆説的に考えると、忘れてもいいから電子書籍化するんだと思います。どうでもいい本とか。
実際、私は電子化したものに一回も手をつけていません。
だってめんどくさいんだもの。
やっぱ紙のダイレクト性こそ至高。

そうした意味では、自炊とは、断捨離に近いものがあるなぁと感じた次第です。

今日もまた共感の得られぬものを書いてしまった。お目汚し、本当にすみません。