シコウノイッタン

読んだ本や、映画の話など、偏見だらけの話をつらつらと

【「失敗の本質」を読んで】組織は全然成長しないよ。インパール作戦だよ。

 杜撰なインパール作戦とは

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

 

 今はこの本を読んでいます。
第二次世界大戦時の敗戦の理由を、日本軍の組織面から考察し、その普遍的要素を現代社会の組織にも当てはめ、問題の表出を図ろうとする本です。

と言っても、私がわざわざ説明するまでもないほど有名な本なので、細かい本書への評価は避けます。(しかもまだ読んでる途中だし)。

本書の中で紹介される数ある失敗の中で、やはり衝撃的なのは「インパール作戦」でしょう。実は読むまで詳しく知らなかったのですが、あまりにも無謀な作戦でした。

インパール作戦 - Wikipedia

インパール作戦」では、戦略的合理性よりも、情緒が重んじられ、都合の悪いことは起こらないとする正常化バイアスで、欠陥だらけの作戦を全肯定しました。
敗退は当然の結果で、多くの兵士を死に至らしめました。(最終的に指揮を執った牟田口中将は、解任されるも、そのままのんびり生を全うできるというのがなんとも……)。

現代でも幅を利かすパワープレイ

こうした情緒先行の作戦発案、陣頭指揮、「どっかで見たことあるなぁ」と思ったら、職場にありました。
ええ、今でも元気に生き残っています。

インパール作戦における、牟田口中将のやり口というのは、執拗な精神論によるパワープレイでした。
もう、「周囲が止めても無駄だ」と諦めのムードを作ることに彼は執心しました。
考えると、これは打算そのものなんですね。
方法論として、彼はこの道筋を体得していたんでしょう。
そうこうして、当初反対だらけだったこの作戦を実施しました。

さて、話を現代に向けると、日ごろの業務においても、「止めても無駄だ」と思わせる状況に、私は嫌というほど遭遇します。
個人的に、一度パワープレイに味を占めた指揮官は、それに味をしめるようになる気がします。
でも、これをやると、忠臣が駄目になり、佞臣が幅を利かすようになるんですよね。

三国時代末期の蜀のアレです。
黄皓のせいで劉禅はブクブク太って、蜀が滅んじゃうアレです

パワープレイというのは、「抵抗」があるから「パワー」がいるわけです。
水の流れに沿うような自然体の決断には、結果的に摩擦が生じないので、いかに独断的な決断であっても「パワープレイ」になり得ません。
流水に沿うような決断は、非の少ない合理的決断だと考えていいと思います。

パワーが必要なところには議論を

一方で「パワー」が必要な所には、議論の芽が育っています。
その芽を、どういう風に調理するのかが指揮官の腕の見せ所です。

個人的には、徹底的な議論のうえ、コンティンジェンシープランを含めた「合意」を生み出すべきだと考えています。
もちろん、議論していくのはめんどくさいし、時間も掛かるのだけど、これをサボりだす組織は、かなり内部崩壊が進んでいるような気がします。


皆さんの組織はどんなでしょうか?
私はいろいろ議論がしたいタイプなのですが、いつも職場でウザがられます。(今日も一般論ばかりですみませn)