シコウノイッタン

読んだ本や、映画の話など、偏見だらけの話をつらつらと

【書評】『戦後補償裁判 民間人たちの終わらない「戦争」』~いろいろ事情はあるけれど~

 

 読みました。
良書だったような気がします。

 

 

▼本の概要


本の中身をざっくりまとめると……


太平洋戦争後、日本は、軍人・軍属など国家の関係者に対しては戦争における被害の補償をしてきた。
一方、戦争に巻き込まれた民間人には手厚い補償をしてこなかった。
それは、「みんなが苦労したんだから、みんなで我慢しようよ」という「受忍論」に基づく考えだ。

しかし、国家が勝手に始めた戦争で被害を受けた無辜の民に対して、補償を(ほとんど)しない、我慢しろ、というのは果たして正しいことなのか。
軍に属していた、していなかったの違いで、受けられる補償に天と地ほどの差があるのは差別ではないのか。理不尽ではないか。
このことを巡って、戦後、数々の訴訟が繰り広げられてきた。

しかし、ほぼすべての訴訟において、前述の受忍論という印籠がかざされ、民間人に対して手厚い補償が実施されることはなかった。
戦後の立法府は救済をする気がない。その立法府の不作為を訴えるために裁判をしているのに、司法は「立法の裁量でやるものだ」、と責任をかわす裁判がひたすら続いた。そして、原告は今日に至るまで負け続けている。

ただし、近年は少しづつではあるが、補償の対象が拡がりつつある。とはいえ、被害者たちの望むものには遠く及ばないものではあるが。

戦後70年以上が経過し、当事者はどんどんと鬼籍に入りつつある。
当事者が加速度的に亡くなりつつある今だからこそ、戦争被害における補償をしっかりと見つめなおす必要がある。

なぜなら、この先もし国家が戦争に踏み出したら、民間人に対する補償問題をまたも繰り返しかねないからだ。

 

…と、まとめるとおおむねこんな感じです。

▼簡単な感想


戦後、国家が民間人に補償をしなかったの財政的な理由と、選別の問題があるのでしょうね。
どこまでが戦争の被害者なのかを見定めることが不可能だった。だから、軍関係者、というラインに線を引いたのは想像に難くないですね。

官僚の立場に立てば仕方がない話で、当事者としたらとんでもない話になる。
この辺の隔たりは客観的に見ても容易に埋まるものではないですね。
私も行政側の人間として、線を引くことの致し方なさが理解できなくもないです。

ただ、これまで補償を跳ねのけてきた国家の言い分が正直言って、かなり苦しいのも事実。今の国会ののらりくらりとした運営もそうですが、政治の本質というものは残念ながら変わることがないのだと痛感しました。
それ故に、訴訟で揉めに揉めたわけです。

まぁそれはともあれ、戦争の補償を巡った動きは「あの戦争」についての補償だけでなく、「これからの戦争」についての補償にも関係するかもしれません。
そうした意味で、今苦しんでいる人たちは、私たちにも決して無関係ではない、ということを本書は教えてくれます。

(もちろん、メインの主題は民間人に補償がされない現実を伝えることなのですが)


本書は「当事者側からの主張のみが一方的に展開されている」という批判もできなくはなさそうなのですが、良い悪いではなく、一つの側面からの事実として知っておくべき内容が詰まった本だと思います。

まぁ自分が民間人として被害を受けたらちゃんと補償して欲しいよね、っていうのは当たり前の感情でしょう。

これから補償問題はどこに落着点を見出すのでしょうか。
当事者がいなくなったら、それでおしまいになるのでしょうか。
少し興味深く見守っていこうと思います。

さて、雑に書いているのでまとまりがありませんが、非常に勉強になる良い本でした。