シコウノイッタン

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【書評】『社会主義の誤解をとく』〜社会主義は無価値か?〜

読みました。面白かったです。

【目次】

▼この本は社会主義のことがよく分からん人のための本

社会主義って、漠然とは認識しているけど、その実相ってなんだろう。」そう、ふと思ったときに、この本を手に取っていた。

昨今の語感で言えば、「社会主義」という語は「なんかよく分からんけど危ない……」「北朝鮮」みたいなイメージを誘発し、突き詰めて考える機会が失われているような気がする。
無論、私もその例外ではなく、ほとんど勉強することなくここまで来た。
そして、そうしたタブー視するような風潮が、本来の社会主義の持つ意味・価値を遠ざけてしまっている。

本書は、こうした色眼鏡=誤解を説いた上で、社会主義とはなんぞや、そして社会主義を知った上で、現在の自由主義ないしは資本主義を見つめ直すメガネを持とう、という趣旨で書かれている本である。

▼この本の超訳


以下は超訳ワタシの言葉である。

社会主義運動の出発点はヨーロッパ(イギリス・フランス)である。そして、そこでの動きは大枠で見れば次のような経緯で進む。

産業革命の中で、従来通りの労働形態が崩れ、資本家と労働階級が発生。
・格差が発生。
・加えて、機械産業の勃興で、元来の手作業的な職人層が、職を失った結果、労働運動を頻繁に起こすようになる。
・そうした動きのなかで、聡い一部のエリート層が自身の社会主義思想を実践するため、労働運動を迎合させる。

雑にまとめると、だいたいこんな感じの動きがイギリスやフランスなどで繰り広げられながら現代社会主義が形成されていく。

この動きの中で、着目すべきなのは、基本的にはどの民衆の動きにも、「バック」が存在すること。
「労働者の団結」により19世紀の社会主義運動が起こったという教科書的な省略に著者は警鐘を鳴らす。
そもそもロクに知識もない民衆がイデオロギー闘争を仕掛けられるはずもなく、そこには先に述べた聡いエリートの影がある。
それらを著者は歴史的事実として明らかにしていくのだが、細かい話は本を読むことをおすすめする。。

その中には、当然、マルクスの話が出てくる。
マルクスは、その聡明さと、巧みさを発揮しながら、闘争を仕掛けてきた革命家だ。
そして、民衆は常にその闘争の被害者(ないしは加害者)になった。
その事実は、マルクスの特異性を毀損するものではないが、歴史的に見るとかなり罪深いものである。
その辺も、仔細に書かれているのでぜひ、本書を読んでもらいたい。

その後、20世紀の東西冷戦などを経て、社会主義はまぁ正直、今ひとつ盛り上がらなくなった。
つまるところ、ある程度「社会が満たされた」ということなのかもしれない。

貧富の差、または不平等というものは、いつの世も存在し、それが無くならない限り、社会主義勢力は何らかの形で残るし、様々なレイヤーの中で、リベラルとソシアルの対立構図は消えることが無いが、少なからず昔のような過激な動きは起こりそうもない。
マルクスの掲げるような強引な「権力の奪取」、というのは過去の産物となってしまった。

さらに、レーニン型(ソ連型)の革命を是とする共産主義はもっと没落した。
革命が志向されなくなったのは、言うなれば、その手段がコスパが悪いからだと思われる。
闘争なんて暑苦しいものは現代には見合わないということか。

最後に、日本の社会主義にもちょろっと触れているが、日本の社会主義は西欧の模倣の上のチャンポンなので主義主張が矛盾している、などのひどいこき下ろしよう。でも事実だから仕方ない。

で、最後に著者からのあとがきがあって、終わり。

▼(蛇足)現代の女性の社会進出について

さて、こうした歴史の大枠以外にも、絶対王政の時代の救貧法の成り立ちなども本書では拾っていたり、カバー範囲が広くて面白い。
本筋からは逸れるが、興味深かったのが次の一節(要約)。

>>「女性が家庭に閉じ込められている(というイメージ)」ことのカウンターとして、現代の女性の社会進出がある。
しかし、雇用機会の区別は、差別の残滓ではなく、女性解放の成果である。
圧倒的大多数であった庶民の女性は産業革命下の工場での劣悪な労働から、工場労働の規制法によって救い出された(過剰な労働の禁止)という事実があるのだ。<<
つまり、過去の文脈を見ずに、現代の事象を見ると、一つの過ちに陥る、ということである。

広いパースペクティブからモノを見る、そういう見方もできるのか、と感じ入った次第であった。

▼まとめの感想

結局のところ、純粋な社会主義など象牙の塔でしか有り得ないのだろう。
現実としての世界は大なり小なり、リベラルとソシアルの要素を、闘争と妥協の間で上手く取り入れながらやっていくしかない、と私は思う。
先に書いたように、現実世界には主張と主張の妥協点が常に存在するので、行き詰まりを見せたときに「対案」の一つ(ないしはそのエッセンス)として考慮されるべきものとして、社会主義思想の「今」があるように思う。
社会主義思想それ自体に価値が無いのではない。

著者も最後に、「まぁあんまり社会主義を色眼鏡で見るのではなく、互いの良いところを見ようよ」、と言っているし。

あくまで、本書の目的は社会主義が何たるかを、その成立とともに精細に記すことなので、「結論がない」とか攻めてはいけない。
結論を出すのは我々に委ねられている。

あと。私の文章に「まとまりがない」とか攻めてもいけない。
いや、それは自由ですね。


さてさて、私のような素人でも十分に理解でき、タメになる本でした。
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